うちの実家 ーつづきー
愛媛県松山市には陸上自衛隊の駐屯地があります。
毎年記念行事として、一般市民参加型のお祭り等を行っています。
15年前だったかな、私の父と母と一緒に自衛隊のお祭りに遊びに行きました。
音楽隊の演奏、空砲や戦車の勢いに、いいおじさんおばさんの私たち家族は「おぉ〜」の連続。
さぁ、お腹もすいてきたしそろそろ帰ろうかっていうとき。
父「ちょっと寄りたいところがある」というので、
母と私は、ふんふんいいよ〜と父のあとをついて行った先は、駐屯地の総合窓口。
そこで、私の父がリュックサックからおもむろに取り出してきたもの。
それはレジ袋。そして、その中から茶色い塊。
父「あの〜これ…ずっと持ってたんですが、お返ししたいと思いまして。」
窓口の自衛隊員「はぁ?なんでしょうか」
父がとり出したのは、昔々の不発弾。
太平洋戦争、松山空襲で見つけたか拾ったか分かりませんが、30センチほどの砲弾。
(あぁーそういえば、この不発弾うちの和室に飾ってあったなぁ。)
父「信管はぬいてますから、大丈夫ですよ。昔のものですが、お返しした方がいいかなと思いまして」
不発弾を見た途端、自衛隊員は目をひんむき、声にならない声をあげ、1mぐらい後ずさり。
後方でくつろいでいた3、4人の隊員もイスから飛びあがり、臨戦態勢。
そして、間髪入れずにどこかへ電話。
猛スピードでパトカーが2台やって来ました。
迅速な対応だったなぁ。
父は、総合窓口内にて捕獲→警察による事情聴取。
母と私だけ、なぜか外で待機。
父は終始おだやかに「はい、はい」と答えていました。砲弾は無事帰還?し、私の父も無事解放。
だけど、我が父は信管を抜いているとはいえ、あの不発弾をなぜに大事そうに持っていたのかしら。
こんな経験、みなさん無いですよね?
ひと様に話したのは初めてです。
さてはて、連休中は父のお墓参りに行って、父と思い出話を語らいたいと思います。
昔、あんなことあったよねーてね
我が家ならではエピソードでした。チャンチャン!
ゆうき
停電!
今朝、出勤の10分前に突然
停電 …
原因はわかりませんが、お隣さんも急に電気が消えてビックリした様子です。
5分ほどで復旧して、ホッとして出勤しました。
帰ったら、いくつかの電気製品の時間合わせをしなくては…⏰
録画予約が消えてないかしら
たかが5分間の停電でしたが、これが夜だったらもっと困っただろうと思います。
あやこ
実家の飾り物
自分が生まれ育った家…実家のことですが。
我が家の普通が、よそ家の普通とは違うことを知ったのは、こども時代だったり、学生時代だったり。
ごく最近だったりするのですが。
あれ、うちの実家ってちょっと違うんかな、と思う時ありませんか?
たとえば、
愛媛県の実家の和室には「姫だるま」という人形の置物が高確率で飾られているんですが。
そういった内容で、我が家ならではだったのは、和紙製の傘が飾られていたこと。
祖父母が傘屋だったらしいので、和傘がたくさんありました。
それが普通の風景でした。
あと、私にとっては普通の風景(飾り物)が、後にとんでもないことを引き起こすことになるとは…
続きはまた今度!
ゆうき
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