阪神・淡路大震災より25年
ドンッ!グラッ・グラッ・グラッ・グラッ・グラッ・グラッ・グラッ・グラッ・グラッ・グラッ・グラッ・グラッ!
今から25年前の朝。
当時、住吉区の我孫子の賃貸マンションの5階に住んでいた私。
大阪産まれで大阪育ちの私が初めて震度5の地震を体験したのが阪神・淡路大震災でした。
寝起きが悪く起されてもなかなか起きない私が最初のドンッ!っという最初の揺れで、一瞬で目が覚めた。感覚ではベットで寝ていて50cm位を落とされたような感覚。
横で寝ていた嫁が跳び起きてどこに行くでもなく本能で走り出しそうになるのを強引に押さえつけベットに抱え込みました。
しばらく続く横揺れ。いつまで続くのだろう?20秒ほど続いた様な気がし、やっと収まりました。取り合えず落ち着いて夫婦共に怪我の無いことを確認して当時、一人で住んでいた父親が気になり電話を掛けると直ぐに受話器を取った父親に無事確認してから2階で寝るよう勧め電話を切りました。
しばらくし、又、同じような横揺れの余震に再度、父親に電話をすると不通なりました。。。
「すごい地震やったなぁ」っと気楽な会話を夫婦でし再度、眠りに付いた。しばらくして仕事に行くため起床してテレビを付けると愕然としました。
よく神戸方面に行くときに通っていた阪神高神戸線が横倒しになっている。。。昔、添乗員をしていた時によく乗っていた観光バス会社のバスが落ちた高速道路の橋げたに前輪を落として宙ぶらりんっとなっている。結婚前に嫁とデートで行っていた三宮駅の山側のビルが斜めになって今にも倒れそうになっている。
戦後に産まれた私には正にそこは戦争で廃墟となったような街がテレビの画面に映し出されていました。
幸い私には神戸方面の知人・友人はいなかったので友人・知人の死 っという経験はしなかったのですが少なからず知人の知人が。友人の友人が。っということがありました。。。
その後、大きな震災・災害がおこり同じ様な惨劇が何度も有りましたがやはり人間の無力さを痛感するばかりです。
不動産業に携わり少しでも災害で家が人を守れる環境を創れれば幸いっと思い不動産業を営んでいます。
阪神淡路大震災をはじめ災害でご不幸に見舞われた方にご冥福をお祈り申し上げます。
未来不動産販売
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