2020/12/28 9:46:20

生まれ変わり続ける街「橋本」

我社の入居するタワーマンション「グラントーレ橋本」は、駅から西へ歩いて橋本商店街の中間点を超えるあたりの江戸時代の橋本メイン街道である旧大山街道との仲町交差点角に在します。



こちらのマンションは、橋本駅前の6丁目で最初の再開発事業で建てられた由緒あるタワーマンションです。



今では乱立する橋本駅前タワーマンション群の長男です。


平成8年に、地権者様たちの協力を得て古い家屋等を整理事業で、公開空地の備わった立派なタワーマンションへと生まれ変わりました。



そういった地元の方の努力と協力を経て街が整い「橋本」の土地の価値が高まっていき、現在、我々橋本に関わる各々が恩恵を受けている限りで、先人様達に感謝ですね。



若い頃、ほぼ毎日、6丁目のここの近辺に来て青春を燃やしていたので、街の移り変わりは感慨深いです。



その中でも、駅北口6丁目全体の移り変わりの中で特に感慨深いのが、平成12年竣工(えっ!?もう20年も経ったの??)の駅前再開発事業です。



これは、橋本駅前にビブレ(現イオン)とB’sタワーが完成した再開発事業です。


橋本駅前は、この事業にて劇的に変わりましたし、昔利用していた駅前の飲食店やお店がほとんど全て移転したり無くなってしまったり・・・新しく整備されて開始していく都市型生活様式と寂しく消えていく情緒がクロスする時期・時間でした。



昔は、橋本で買い物するなら3丁目の「ユニー」か「イトーヨーカ堂」でしたが、駅直結でイオンがある今、旧住宅街の6丁目内ですべてが完結するようになりましたね。



昔は、駅から右に出れば商圏の3丁目、ミヤマラーメンを食べて左に出れば住宅街と商店街の6丁目でしたが、その記憶も今の景色に上塗りされて微かになっていくちょっとセンチメンタルな気持ちと、この街が発展していく頼もしい気持ちが混在して、時代や街はこのように人々の生活の背景の中で発展していくんですね。



この街で、今後も共に発展していけたら幸いです。








2020/11/02 10:03:37

不動産取引は、エージェント

久しぶりにブログを書きました。


すっかり霞の無い秋の透明な空気の元、晴れが続き気持ち良いですね。



さて、私は、不動産業を特に勤め人で携わっていた頃より日々疑問に感じ強く思っていたことが一つございます。


不動産取引ほど、個人の経験値・技量・知識により内容が変わる取引は無いと思っております。



独立前は、不動産業界大手会社の組織の中で「会社員」として携わっていたわけですが、お客様のほとんどが、その会社の看板や信用力でいらっしゃってました。(勿論、高額の取引なので当たり前の事ですが・・。)



しかし、実際は、特別法の宅建業法で規制されている業界なので、通常、会社規模が大きかろうが小さかろうが、どちらの業者さんも同じ法律内で同じ様な事業スキームが組み立てられており、契約書の標準約款も基本同じで、クオリティの違いは、ほぼほぼ、営業担当者「個人」に帰属していて、当時「会社の看板は大きいけど極めて属人的な業界だなぁ」と強く感じておりました。。。



当然、業務手順は、業法内で仕組化されているので会社内では、取引原型迄は、どの担当者でも同じ手順とサービスです。


しかし、抽象的になりますが、仕事のそれ以上の部分である「ここまでやる」「ここまではやらない」の幅が大きく、あくまで担当者によるところで、何故か同じ会社内でも担当者毎に仕事の内容や質・量は大きく変わります。



相場形成が固く専有部分を売買するマンション取引には、担当者による大きな差は出ませんが、よりアナログな土地や戸建取引に多い事ですが、仮に「同じ会社」で「同じ物件」の売却や購入を進めるにしても担当者によって全く別の顛末をむかえる事象が多いんだなと思います。



実は、不動産REITなどの経験値も積みたく同じ様に特別法に規制された証券業界にいた時期もあったのですが、金融業界は、個人間の営業成績には当然大きな差が出るのですが、金融商品を販売する実務面では業務品質に個人間の差は当然出ませんし、ドライに法律に則した事務手続きで粛々と取引が成立します。



不動産業は、対象物が極めてアナログなもので、人の権利等が複雑にかかわる大きな取引ですので、もちろん業法順守したうえで、取引担当者に帰属する「進め方」や「感」「センス」、「仕事観」等が大きく左右するものであるため本来は、個人のエージェントを指名して解決度合や成功度合・実務度合により報酬を決定されるべき業界でなければいけないと感じております。



いつの日か、不動産業界にエージェント制の時代が来るかもしれませんね。







2020/08/30 10:01:39

忘れ去られていく旧道

皆さまこんにちは!


あと2日で8月が終わろうとしているのに、真夏の暑さですね・・


20年くらい前は、お盆が過ぎると夜独特の涼しさがやってくる季節感がありましたが、もはや東京も常夏の南国ですね ;^^



皆さまは、「道」について深く考えてみたことございますか?


道?人生の道?


いえ、今回は通行する道です。


不動産業では、切っても切れない分野なのですが、公図(法務局備付の地番地図)を追跡して見ると住宅地などの土地の形状が歴史を重ねてどんどん変わっているのが分かります。


その中で、道だけは不思議な形状で残っていることが多くて、代表的なものは、赤道といって明治・大正の頃まで道として利用されていた無番地の土地が各役所等の地図に赤く塗られていることから「赤道」と言いわれます。


例えば丘の上のお稲荷様の祠にお参りに行く細くて古い道が赤道として残っていたりなど様々です。


昔の道は、多岐にわたり計画的に網羅されていなかったので、生活導線そのものが道として形成されていったようです。


大きな道としては信仰詣で栄えた「街道」があり、弊社の寂しい前面道路もなんと「大山道」という神奈川県の大山阿夫利神社への参詣者の通行した関東の大山街道の一本です。



現在、近隣の幹線道路等の中に埋もれて、街場の裏道としか見えないこの道も街道だったようで、会社の扉を出て江戸時代に歩いた人々の思いに馳せて歩くと


「右」に行くと旧16号と重なり八王子へ出て埼玉へと続く


「左」に行くと129号に合流し厚木方面へ出て大山へと続く



なるほどなぁ~と思い、国土地理院の戦前からの航空写真で我が街、橋本における大山道の移り変わりを入念に調べてみると約10年ごとにこの街道が橋本でどのように消えて(埋もれて)いったかが分かりました。



桑畑しかなかった戦中から街の移り変わり発展とともに旧道はこのように埋もれていってしまうんだな・・と過去を調査すると何か胸が熱くなりました。



その一つが、今も残る橋本1丁目の「棒杭」というものです。



橋本を通る大山道は、埼玉熊谷宿方面〜八王子〜元橋本(旧橋本宿)〜橋本6丁目(当社前面道路)〜橋本1丁目と辿り着きここで、昔、二手に分かれました。



二手の相模川を渡るコースで、塚場を経て水郷田名の「久所の渡し」で渡るコースと、番田を経て当麻の渡しで渡るコースです。



「棒杭」とは、この二手に分かれる場所に建っていた案内の様な杭です。


この棒杭の碑が現在も残っておりますが、旧写真と現写真を照らし合わせると区画整理によって道がなくなってしまった端部分に現在の棒杭の碑があることが分かり、旧道と本当の旧棒杭は、現在は民家の敷地になっているようでした。




現在の航空地図を見ると、ところどころ旧道が現在も小さな道として残っていたり、居住用地として建物が建ってしまっていて跡形もなくなっていたりしているのが分かりましたが、現在の便利な導線である幹線道路や道は、都市計画によって設計的に人工的に作られたものが、街並みに溶けています。



数々の物語やドラマがあったであろう旧道・街道が埋もれてしまったのは、人の歴史や人の道と同じで、人生が重なり人生の道を変えたりして過去が風化する事や、「あの時、あの町にあの人が居てああ生きた」みたいな重なりあって時を経る人間社会の歴史の一端と同じような想いを感じさせます。



不動産業は、地歴の一端を担えるので、素晴らしい職業だと思いました!







会社概要

会社名
グローバルトレードストラテジー(同)
カナ
グローバルトレードストラテジー(ド
免許番号
神奈川県知事免許(1)30913
代表者
保母 耕治
所在地
2520143
神奈川県相模原市緑区橋本6丁目36−1グラントーレ橋本 104
TEL
代表:042-703-4135
FAX
代表:042-703-4136
営業時間
9:00〜19:00
定休日
水曜日
火曜・日曜不定休
最寄駅
横浜線橋本
徒歩5分
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