嘘と思うなら
では問題です。 僕は何を作ろうとしてるでしょうか。
ヒント:これだけではできません。
ルゥー・カレー君の登場です。
そうです。僕が作ろうとしているのは、カレーライスです。
よく、「俺のカレーが一番うまいよ」とか「世界一うまいよ」って言ってるひといますよね。
あれ、全部嘘ですね。
なぜなら、 …僕のカレーが世界一だから。
いやマジで。
優しくされた分だけ優しくするって精神で生きてませんか
この前のブログで書いた石刷り、
ね〜。4回やってようやく、読める感じかなって思います。一番したの1回目は真っ黒で読めないでしょう?その上の2回目は、まま、ぎりで合格かな。でも、もう少しくっきりさせたい。3回目、下なぞりをしないやり方を試しましたが、やっぱり下なぞりは必要のようです。4回目、うん、これで行こう。 で、結局、郵送することにしました。
文、読めますか。感覚の鋭い人なら、あちこち皮肉が込められていることに気付けるはずです。そんなことしなくていいのにって、僕自身も思います。僕の好きな歌の歌詞に「優しくされた分だけ優しくするって精神で生きてませんか」というのがあります。言いたいことはわかる気がします。相手の態度でこっちの態度変えるのなんてかっこ悪いよ、って意味じゃないですかね。一番いいのは自分自身の中に基準がしっかりあって、相手に関係なく振る舞えることだと思うんです。ということで、石刷りを郵送です。なら、「そのせつはありがとうございました。おわり。」で、いいじゃないですか。ねえ。
ですが、僕は、バイク屋さんに、僕が抱いていた理想を知ってほしい。
自分の持ってる理想を他人に知ってもらうのってまず無理だってことも、それが単なる押し付けだということも知ってます。だから、わかる人にはわかる手紙を添えました。
で、ですね、今日、その手紙を郵便局に持って行った帰り、延長コードが欲しくて¥100ショップのダイソーに寄ったんですね。で、ダイソーの駐車場でヘルメットを取ると、「あの、極真やってはるんですか?」とお母さんっぽい方が声をかけてこられました。「はい。」と答えたものの、自分は奈良では小学生の指導をしてたことがあるのですが、その時のお母さんが高槻で、しかもヘルメット姿マスク姿で???と思っていると、
「極真のジャージ着て走ってはったから。うちの子、伝統空手やってるんですけど、主人が、極真のほうがいいって言ってて。でも、このあたりで極真の道場があるか知らなくて。もし、知ってたらと思って…」とその方。
何をおっしゃりたいのか、すごく良く分かりました。
「そうなんですね。でも、僕は奈良で入門して、黒帯とって、今も籍は奈良支部なのです。同じ流派なら大阪北支部というのがありますよ。」と答えました。
すると「それ、その流派っていうのもわからなくって。今思っているのは、伝統派空手ではなく、極真を習わせたい、ってことなんです。」
「極真空手は大山倍達総裁が作ったんですが、それから総裁が生きてるときに芦原会館とか正道会が同じフルコンタクト空手でありながら分派しました。総裁が亡くなったのを機に松井館長が極真会館という名前を引き継ぎました。これに納得できない人が緑健児さんを代表にして「新極真会」というのを立ち上げました。長渕剛はこの新極真の道場生です。もうひとつ極真館というのもあって、これは最近(2003年)に極真会館から分派した団体です」と説明しました。
その方は、「ルールは違うのですか」と聞かれました。
「今言った、極真会館、正道会、新極真、極真館はルールはほとんど同じです。たまに他流派の道場生が大会に混ざってることがあります。」
「その流派っていうのもわからなくて、なので、どこに連絡していいのかもわからなくて、この近くで極真空手があるのか知りたかったんですが…」
「ちょっと、待ってもらえますか。検索してみますね。…あ、古曽部に高槻教室っていうのがあります。さっき言ってた大阪北支部、橋爪先生の支部になります。」
お母さんは「わかりました、一度連絡とってみます。また、どこかでお会いしましょう」と言ってくださいました。
僕の所属している極真会館(松井館長)は、競技人口は日本では伝統空手(寸止め空手)のほうが多いですが、極真の中では最大会派です。ただ、さきほど言った4派(小さい流派を数に入れるともっともっと多いです)があると知って、極真会館を選んだわけではありません。ですが、ほんとに良い道場に入門できて良かったなと思っています。それは、直属の先生である分支部長、支部の師範、そして館長が素敵な方々だからです。なので、今日、声をかけてくださったお母さんにも、自信をもって「極真会館」をおすすめできるのです。
腑に落ちないことひとつ
今日、会社でインフルエンザのワクチン接種をしてもらいました。これだけマスクや手洗いうがいをして、周囲の人も同じようにマスク手洗いうがいをして、本当にインフルエンザワクチン接種の意味があるのか実に疑問ですが、会社で用意してもらえて、いつも仕事してる机から10mほどの場所で接種してもらえるのですから断る理由はあまりありません。 で、ですね、僕は注射が大嫌いだったのですが、今日のワクチン接種は、全く痛くなかったのです。接種してくださった看護師さんが「はい、これから痛くなりますよ。」とおっしゃっても全然痛くなかったのです。長い間生きてきて、こんなに痛くない注射は、初めてでした。コロナワクチンやいつもの血液検査のときの方が痛いです。きっと針の太さとか、ワクチンの成分とかの関係なのでしょうね。ただ、針が刺さってるところは、現在でも見ることができず、力いっぱい首を背けていますと、看護師さんに「わかりやすい、リアクションありがとうございまーす」と言われてしまいました。 今日ので、もうインフルエンザのワクチン接種は怖くなくなりました。どっからでもかかってこんかい、という感じです。目下の不安は、コロナワクチンの次の接種の必要性とその実施の有無・時期です。
ところで、僕の隣で仕事をされている方は、インフルエンザワクチンも、コロナワクチンも接種されません。まま、打たない自由を尊重するってことは大切なんだと思いますし、打ちたくても打てない人もおられるのであって、打たない人が差別される社会は良くないとは思います。でも、単に信条で打たない人は、集団免疫の観点からすれば、副反応のリスクは負わずに集団免疫の恩恵だけ受けているのであって、そのあたり、なんか腑に落ちません。このあたり、みなさんはどう思われますか。
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