私について#19 (ニューヨークからロンドンへ)
ニューヨーク駐在期間も1991年7月で5年になるということで、そろそろ異動の準備をする必要性を感じ始めていた。資産バブル下で、世界で一番元気に経済発展を遂げている日本を米国から眺め、1987年10月のブラックマンデー以後、急速に活力を失っていった米国を目の当たりにし、また、東西冷戦の終結で、政治・経済の骨組みが大きく変革していった欧州を眺めているうちに、5年近い年月が過ぎていた。あっという間であった。
1990年7月、日本から母と妹を呼んで、家内と四人でカナダのケベックシティーを目指し、ドライブ旅行に出掛けた。領土のとても大きい米国・カナダなので、ドライブと言っても、モントリオール1泊、ケベックシティー3泊の日程を組んだ。いずれの町も、フランスの影響が強く残るケベック州にあり、公用語はフランス語と英語であるが、どちらかというと、フランス文化、フランス語中心であり、北米の中で独特の雰囲気を持ったところであった。ニューヨークからケベックシティーまでは、途中、山岳地帯を抜けるというルートではなく、比較的平坦で緑の多い景色が広がるところが多かった。モントリオールからケベックシティーはメープル街道という呼ばれる、秋の紅葉の時期はとても美しいであろう道で繋がっていた。
1990年12月、アリゾナ州スカッツデールを米国最後の旅行の地とした。ここは、砂漠の中に作られた人工都市で、気候が良いということで、現役を引退したお年寄りが多く住む町だ。それ以外は、プロのトーナメントが開催される有名なゴルフリゾートがあり、ゴルフ好きが多く訪れる観光の町でもあった。自分達もTPCスカッツデールで楽しんだ。
1991年1月、予想通り、辞令が出た。ただ、異動先は、日本ではなく、意外にもロンドンであった。予想していなかったので、最初は戸惑いがあったが、いずれは働いてみたいところだったので、その戸惑いはすぐに消え期待へと変わった。
3月半ばロンドン赴任と決まったが、当時はイラクのクウェート侵攻終結と重なり、テロのリスクがつきまとったため、米国から欧州への移動手段が問題となった時期であった。特に、ニューヨーク・ロンドンは「テロのリスクが大きい」という事で、日本企業の間では、このルートは避けることになっていた。どうしたものかと考えた末、以前ユタ州を一緒に旅行した同期が赴任しているチューリッヒで週末を過ごしてロンドンに行くことに決めた。スイスは小学生の時から行きたかったところであったので、ある意味幸運だった。ルツェルン湖、カペル橋、この橋は自分らが行った数年後火事でオリジナルは消失してしまったが、他にスイスの山々を堪能した。
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