2012/04/30 16:25:02

私について#29 (アンダルシアへの旅)

1992年年末、スペインのアンダルシア一周の旅に出かけた。ロンドンからヌーディスト ビーチで有名なコスタ・デル・ソル海岸のあるマラガに飛び、レンタカーを借り、セビリア、コルドバ、グラナダを巡る1500kmの旅だ。アンダルシアは8世紀から15世紀までイスラムが支配した歴史があり、各地を巡ってもその事実が明確に判る史跡が多く残っている。


セビリアは、アンダルシア州の州都で、大聖堂、アルカサル等の建造物が有名な大都市で自分らが訪れた年の夏には万国博覧会が開催された都市である。また、フラメンコのふるさととも言え、街には数え切れないほどのフラメンコバーが多くあった。自分らも食事を終えた後フラメンコバーに立ち寄り、本場のパフォーマンスに酔いしれた。


コルドバは、メスキータと呼ばれる、モスクと教会が合体した建造物で有名な街で、8世紀、イスラムが入植した際の首都であり、メスキータはイスラムの象徴として建造されたモスクだ。その後15世紀にキリスト教がこの地を取り戻し、このモスクを教会に作り変えた、と言う歴史がある。でも、なぜ当時のキリスト教徒はモスクを破壊して教会に立て替えなかったのだろうか?宗教の違いは時には、悲惨な争いを呼び起こすことがあるのに、メスキータは両宗教を代表する心の拠りどころである建造物を両立させた形となっている。その当時の宗教者達はとても穏健で、争うことなく、相手の信ずる宗教にも尊敬の念を抱いていたのだろうか?そうであったのなら、とても素晴らしいことであるが。


グラナダは、シエラネバダ山脈を背にした山間の街で、そこにあるイスラム人が建てたアルハンブラ宮殿で有名な街だ。この地でイスラムが全盛を誇った頃建設されたこの城は別名「赤い城塞」と呼ばれる。バックにあるシエラネバダ山脈、城の廻りを囲む木々と赤土の大地が、丘の上に建つ城を一層引き立たせており、とても素晴らしい。場内に入れば、噴水など水を巧みに利用した水路、イスラム模様を屈指したたくさんの部屋があり、派手さは無いが心を奪われるものが随所に見られる。ここで村治佳織の「アルハンブラの思い出」を聴けたらどんなに幸せな気分になれるだろうか?







2012/04/29 11:30:00

私について#28 (スペインへゴルフの旅)

夏時間の欧州は日中が4:00〜21:00までと長く、また夏、気温が30度を超えても湿度が非常に低いのでとても快適だ。ゴルフ好きには、この季節はたまらない。ロンドン駐在のころは、会社の同僚と家族でスペイン・ポルトガル・フランスにゴルフ旅行に出掛けた。


スペイン南部のソトグランデ地方は、欧州でも屈指のコースがあるので有名だ。ロンドンから英国の軍事上の海外領土である、ジブラルタルに飛び、そこから海岸沿いを西に向かったところにゴルフ場はたくさんある。その中でも、バルデラマは、美しさと難しさを兼ね備えた、米国プロ選手と米国以外の選手が競う大会、ライダーカップ開催会場でも有名なコースだ。戦略性・高速グリーンは格別で、世界でも屈指のコースであることは、素人の自分らでも理解できるほどだ。


バルデラマの近くにある、サン・ロケGCは、当時、日本の中堅建設会社がオーナーであった本格的リゾートコースで、ホテル等を兼ね備えたとても贅沢な施設だった。遠くに大西洋・地中海を望むことができ、天気が良ければ、アフリカ大陸のモロッコも一望できるところにあった。


1990年代前半まだバブルの余韻が残っており、日本企業はスペイン・ポルトガル・英国まで進出し、特にゴルフリゾートを建設した。ロンドン郊外にも3つ程新規に素晴らしいゴルフ場が建設されたが、それらも日本企業がオーナーであった。しかし、1990年代後半に入り、バブル崩壊から抜け切れず、これら日本企業は次々とゴルフ場を手放していった。恐らく、何十億程のお金をかけて作り、二束三文で売却したに違いない。バブル期における日本企業による海外商業ビルやこれらリゾート施設への投資例で、上手くいったという話を聞いたことが無い。その時の勢いだけでこういう不動産投資をしてしまったせいだろうか。ほんとにもったいないことだ。ただ一つ、自分は何回プレーしたかわからないくらいほどお世話になった、日本のビールメーカーがロンドン郊外に保有しているゴルフ場は、1991年建設以来、今でも健在のようだ。今後も頑張って営業を続けてほしいと思う。






2012/04/27 10:15:24

私について#27 (ドイツへの旅)

1993年夏、家内の両親を東京から迎え、ドイツに旅行する機会を得た。義父の両親は仕事の関係でハンブルグに駐在したことがあり、義父はその街で生まれた。その両親の希望もあり、夏休みを利用して、ドイツのハンブルグを目指し出掛けた。4人での旅行ということもあり、コストや移動の利便性を考慮し、ロンドンから車で行くことにした。


ロンドンから200km程南下しドーバーへ、そこからフェリーに乗りフランスのカレーに到着。今はユーロトンネルというものがあり、英国から大陸へ渡るときは、ユーロトンネルを走る鉄道に車を載せて渡るのが普通であるが、当時は車で行く場合はフェリーしかなかった。しかし、一時間弱の航海なので、快適なものと言えた。欧州大陸に渡れば、高速道路網がしっかり整備されているので、車で移動することはとても容易いし、効率性が増した。ニューヨーク駐在時代に購入し、その後、英国に持ち込んだ、左ハンドルのホンダ レジェンド3200tを屈指し、欧州の高速道路のドライブを楽しんだ。


ベルギー・オランダを通過し、ただただ、ドイツ フランクフルトを目指し走り続けた。当時はまだEUではなかったが、国境を跨ぐときも特に検問所は無く、一つの国でドライブをしているのと同じ感覚だった。フランクフルトで車を置いて、そこからハンブルグへは、一度は乗ってみたいと思っていた、ドイツ高速鉄道を利用した。乗り心地が良く、2時間強の移動を楽しんだ。到着後、義父の持っていた昔のハガキに書かれた住所を手掛かりに、彼の生家を探した。70年近く前のことなので、探し当てるのは難しいと思っていたが、幸運にも、それらしき建物を発見。そこで、その建物をじろじろ見ていたら、中から、怪訝な顔をした、おばあさんが出てきてドイツ語で話しかけてきた。言葉が通じず困った結果、おばあさんが、建物の中から若い女性を呼んできて、彼女と英語で話すことができ、こちらの事情を理解してくれ、怪訝な顔をしていたおばあさんも笑顔に変わり、自分らを家の中に招き入れてくれた。ビンゴ、そこは正しく義父の生まれ育った家であることがわかり、おばあさんも含め皆感動に浸った。第2次大戦中、ハンブルグも爆撃されただろうに。しかし、幸運にも、そこは被害を免れたのだった。


その後、フランクフルトに戻り、再びドライブ旅行を続けた。船に乗ってライン川下り、ロマンチック街道をひたすら南下、途中、おとぎの国のような都市を巡り観光した。ハイデルベルグ、ローテンブルグはとても趣があった。ノイシュバンシュタイン城は良く写真で見る、ロマンチック街道のメイン観光地。ここまで来ると、オーストリアは目と鼻の先、国境を越えザルツブルグを目指した。


東西冷戦終結後間もないということなのか、ドイツは出国者に対して厳しいチェックを行った。ドイツを出国しようとしたとき、検問所で足止めを食らった。もともとは、自分が本人確認となる英国の免許証を持参しなかったのがいけないのだが、米国の免許証を見せても出国を許してもらえず、2時間ほど時間を無駄にしてしまった。このころ、東西の壁は壊されたものの、やはり、旧東の人たちの移動はかなり制限を厳しくされていたのだが、その中で、自分たちも制限を受けた形だ。確かに、車の天井に荷物をたくさん載せた車が多数列をなしていたのを思い出す。彼らは、新天地を求めて移動しようとしていたのだろう。


ザルツブルグはモーツァルトの生まれ故郷でサウンドオブミューズィックの舞台の世界遺産都市。その後、再びドイツに入り、温泉保養地であるバーデンバーデンへ。森に囲まれた、お金持ちが別荘を持っていそうな温泉地。われわれもぬるい温泉を少し楽しんだ。温泉療養施設が多くあり、お年寄りがたくさんいらっしゃった。バーデンバーデンからフランスに入りストラスブールを抜け、カレーへ。ここまで来ると、ロンドンはもう目と鼻の先。一週間4000kmの旅も終わりだ。








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