2014/09/17 11:09:28

私について #176 (独立することの意味)

2014年9月18日、スコットランドで英国からの独立の是非を問う住民投票が実施される。キャメロン首相のみならず、エリザベス女王まで巻き込む事態となっている、スコットランド独立については今突然始まったことではなく、自分がロンドン駐在していた1990年〜2000年代も、何かにつけては独立気運が盛り上がったりしたことがあったが、住民投票が実施されるところまでいくことは無かった。英国は正式名称「グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国」と呼ばれ、イングランド・スコットランド・ウェールズ・北アイルランドで構成されており、それぞれがある意味国旗に相当するような旗を持っている。面白いことに、特に世界的なスポーツ、サッカー、ラグビー等のワールドカップでは、英国代表ではなく、連合王国を構成するこの4つはそれぞれが一国の代表のような形で予選・決勝を戦うことができる。1990年代、北アイルランドを巡り英国政府とIRAによる武力を使用した不幸な事態があったが、最近では、これら4つは歴史・文化の違いを意識しながらも安定的な国家運営の中にいた。そんな中、スコットランドが住民投票を実施し独立国への道を模索し始めた。海運・金融の世界においてスコットランドは歴史的に優れた企業を輩出してきたが、20世紀に入り北海油田開発が進み経済力を増したため独立機運が益々盛り上がってきたためだ。


しかし独立国になるためには人々の独立心や一部の経済的な繁栄だけでは成し遂げることはできない。通貨管理を行う中央銀行、年金運営、EU(欧州連合)との関係、NATOにおける立ち位置等、数えればきりが無いくらい様々な難問が待ち構えている。とりわけ、独立すれば英国ポンドが使えなくなる事態をどう打開するのか、スコットランドの政治家、行政府は何か打開策を考えているのか。スコットランドを地盤とする企業の中には独立に対する警戒心から、本拠をスコットランドから他へ動かす企業も現れている。ここ数年、欧州では南欧諸国の財政危機からEUの信認が揺らぐ事態が起こり、通貨ユーロが市場で下落した苦い経験を持つ。そんな中、スコットランドが独立を果たしたとしてもEUが快く迎えてくれることは無いだろう。世界的に経済統合が進む中でEUの後ろ盾を得られなければ、欧州域内にある独立国家として世界からの信認を得られることは無い。明日18日、スコットランドの人達の冷静かつ勇気ある決断を切に望む。







2014/09/12 18:21:21

私について #175 (錦織 圭選手が成し遂げた偉業)

テニスのグランドスラムの一つである全米オープンで島根県松江市出身の24歳、錦織選手が決勝進出を果たした。決勝ではクロアチアのマリン・チリッチ選手にストレート負けしてしまったが、日本人選手でグランドスラムの決勝まで進むと言う快挙を成し遂げた。一年のほとんどを海外で戦いぬかなければならない環境、パワーと持久力を併せ持たなければ勝ち進むことができないプロテニスの世界で、日本人選手が決勝まで勝ち進んだことはただ凄いとしか言いようがない。ここ数年の錦織選手の活躍は気にはなっていたが、ここまで急速に力をつけてきたのには驚いた。プロテニス界においては過去を振り返れば一人か二人のとてつもなく強い選手たちが、とりわけグランドスラムにおいては決勝戦で競うことが多かったが、最近ではセルビアのジョコビッチ選手の頭が一つ抜けていたものの、彼も絶対的な強さを見せきれない状況が続いていた。恐らくテニス界の選手層の厚さが増し、選手間の力の差が無くなってきているからではないだろうか。


錦織選手の活躍とともにもう一つ注目していることがある。彼のコーチであるマイケル・チャンは1980年代後半から2000年にかけ活躍した選手だ。台湾系米国人で発表では身長175pとあるが、実際は170pあるかないかと思われる小柄な選手だった。しかし、その小柄な体を屈指し、右に左に前に後にコートを駆け回る熱血漢的な選手だった。ニューヨーク駐在中、全米オープンで戦う彼の走り回る姿を見てとても好印象を持ったし、とにかくだれもが彼を応援したくなるような選手だった。1989年、グランドスラムの一つである全仏オープンでスウェーデンのステファン・エドベリに勝ち優勝を果たしたが、グランドスラムではこの1勝だけだった。当時はピート・サンプラス、ボリス・ベッカー、アンドレ・アガシ等、とてつもなく強い選手がいたため、マイケルはグランドスラムの優勝にはあまり縁が無かった。そのマイケル・チャンが錦織選手をまた一歩成長させてくれた。実際、錦織選手の前後左右の動きは、当時のマイケル・チャン選手そのものだった。


錦織選手にはぜひグランドスラムのタイトルを取ってもらいたい。プレーのみならず、インタビューを受けている時の姿を見るととても頼もしく思えた。若かりし頃の、海外で長く生活をしたヤンチャ坊主のような姿は無く、堂々と英語できちっと自分を語った姿は、おこがましい言い方だが立派だった。日本を代表する選手としてもっともっと世界を驚かせてもらいたい。日本国民皆が君を応援してます。






2014/09/08 9:08:24

私について #174 (サケ大国チリ)

西部は太平洋の海岸線、東部は急峻なアンデス山脈、北部は乾ききった大地アタカマ砂漠、南部は氷河。南北およそ4630qの国土を有するチリでは、同日に海岸では海水浴、アンデス山脈ではスキーができるなど、一日に四季を経験することができると言われている。


日本から遠く離れた南半球の国チリはサケの養殖が盛んだそうだ。そう言われると、スーパーマーケットでチリ産の銀ザケを良く見かけることがある。年間60万〜70万トンのサケの出荷量を誇るチリだが、天然ものは存在せず全て養殖ものとのこと。そして、1972年チリの水産技術者の依頼を受け養殖技術を指導したのは、長沢有晃氏と白石芳一氏という二人の日本人。お二人の調査で、チリの海岸線を形作るフィヨルドが生み出す水温や海流がサケの養殖に適していることがわかり、北海道から卵を取り寄せた。その後の軍事クーデターによる混乱で、養殖に必要な機材の入手がおぼつかなくなり、手作業で稚魚を育てたが、川に稚魚を放流しても遡上せず、日本との違いに頭を悩ませる中、サケの状態を丁寧に目配りした結果18年がかりで海面養殖にたどり着いた。しかし2007年、サケに貧血症を引き起こさせるウィルスに襲われ生産量は6割に落ち込んだ。これを機にチリのサケ養殖が変わったとのこと。水温、海流など、もともとチリの恵まれた自然環境に安住していた生産者たちが、1970年代に二人の日本人技術者から伝授された「魚を読む」手法を見直し始め、今では、その当時の教えを忠実に守ってサケ養殖業を守っている。1980年代にはホタテの養殖技術も日本から学んだチリ。今ではその技術を学び取ろうとコロンビア、エルサルバドルなど中南米諸国から盛んに専門家が派遣されている。日本の牡蠣生産者がフランスの牡蠣生産者の危機を救い、フランスの牡蠣生産者が三陸の牡蠣生産者の危機に手を差し伸べる。遠くの国々で日本の知恵や善意が息づいていて、それがために日本の危機においてその恩返しを受けることができる。このような記事を読むだけで胸が熱くなってくる。自分は日本人であるけれど、やはり日本人は凄いと思う。






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Grande Plaine
カナ
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