2016/12/17 9:38:47

私について #253 (カジノと共に生きる術を)

1990年8月イラクがクウェートに侵攻し、世界平和を維持する秩序が崩れ始めた中、自分は5年間のニューヨーク勤務を終え、1991年3月、次の赴任地であるロンドンに渡った。当時はテロの可能性が高いとして、ニューヨーク・ロンドン間のフライトルートは使用するな、というムードが強くなり、自分はチューリッヒ経由でロンドンに入ることとした。


1991年当時の英国(Great Britain)は国家を構成するイングランド・スコットランド・ウェールズ・北アイルランドのうち、北アイルランドを英国から分離しアイルランドを統一する目的を持ったIRA(アイルランド共和軍)との闘争の最中にあり、国内的にも市民の安全が脅かされる事態が起こっていた。特にロンドンの金融街であるシティーはIRAの絶好のターゲットとして、しばしば爆弾事件が発生していた。とは言え、そういう自分の身に危険なことが起こるかもしれない状況であったものの、初めてのロンドンでの生活は日本や米国と異なった文化・環境の中楽しく過ごすことができた。


ロンドンでの生活で強く印象に残ったのは国家公認のカジノの存在であった。国際都市ロンドンだから観光客や地元民が楽しめるエリアは当然多くあったが、カジノは日本では経験することはできなかったし、米国ラスベガスや次期米国大統領ドナルド・トランプ氏が造ったカジノの街ニュージャージー州アトランティックシティーとは全く異なったものだった。カジノと言うと高級ホテル内や隣接地に建設され、派手なネオンサインで顧客を呼び込むスタイルが普通だと思っていたが、ロンドンのカジノはそうではなかった。ロンドンのカジノは多くが会員制でパスポート等の本人確認証を提出し写真を撮られ、審査を受けたうえで会員証が発行されるシステムだった。当時は中東原油産出国の大金持ちが顧客の主体で、民族衣装を着た彼らが、恐らく高額な資金を元手にディーラーと渡り合っていたのを遠目に見ていた。日本人も顧客として出入りしていたが、かけ金は彼ら大金持ちの比ではなく、ひっそりと遊んでいた。カジノ内にはレストランも有り、日本から来たお客様を接待する社交場としても利用していたし、そのような所にあまり言った経験を持たない日本人には、結構評判は良かった。


統合型リゾート(Integrated Resort)を推進するカジノ法案を巡って日本の国会が混乱した。党首討論でも暑い論議がなされていたようだが、首相と野党党首の議論は全くかみ合わず、見ていても迫力を感じるような議論も無く、数の論理で与党が押し切った感じで終了。とりわけ残念だったのは、反対に終始した野党の反対の理由が、「ギャンブル依存症」対策をメインにあげていたこと。冷たい言い方かもしれないが、ギャンブル依存症はおそらくどんな対策を立てても、実際にギャンブルに嵩じる本人の自覚が無くてはどうにも避けることはできないだろう。ギャンブルのみならず、人は自分で自分を律することができなければいけない。


今後カジノ解禁にあたって、その運用方法、英国のようなだれにでも開放する娯楽ではなく、外国人を含め本人確認をきちっと行い素性は明らかにするべき。そして自分達一般人を相手にするのではなく、ほんの一部の大金持ちを相手にするような、そういうコンセプトで始めた方が良い。そして、派手なネオンサインは掲げない。「え、こんなところにカジノがあるの?」ようなカジノを造っていただきたい。世の中にはとてつもない大金持ちがいると思うので、そのような人達に大いに遊んでいただけば良い。野党のみなさん、次は万人に解放されることの無いカジノを造るよう政府与党に働きかけていただきたい。







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