お悩み
悩みというと、気持ちが沈み暗いイメージでした。でも、ある時からとても軽いものになってしまったように感じます。「お悩み」と言い換えてしまったせいだと考えています。
いつの頃からか、テレビなどのマスコミでこの「お悩み」として勝手に企画のタイトルにも用いたり、国営放送でさえも、あたりまえの日本語のように今では使用されています。
私が子供の頃には、こんな「悩み」などと、人間の心の奥深くを探り、人生の存在そのものまでも、重荷にする権化のような言葉に軽々しく、接頭語の「お」をつけて親しみを込める発想なんて、恐れ多くてできませんでした。ついでにいいますと、丁寧語も、尊敬語としても私なりには、使用不可です。心の苦しみを表す言葉につけてみたいなどとは、ゆめゆめ思いませんでした。
悩みがあることは、なんとなく自分がいたらないためにそんな状態になってしまうので、めったなことで他人に悩み相談もしないし、親しい友達とか、心を許せる人にしか話さない種類のもの。悩みを話すことは、恥ずかしいこと・・・。漠然とそんな風に捉えていたのです。特別に、心の中にある、大事かつ秘密な感情・・・でさえもあったのです。
「お」は丁寧にするのであって、軽くするものではなかったのでは?悩みなどと、自分には来て欲しくもないことに、おをつけてもったいぶりたくもないし・・・。そんな突っ込みをいれながら、けっこう「お悩み解決方法」などとタイトルがあると、ふむふむと見入ってしまっている私。
傾向を見ると、このお悩みというタイトルのときは、心の奥底の悩みではなくて、手段とか方法の知識習得を目的にする場合がほとんど。行政への提出書類の方法とか、料理のワザとか・・・。念のため辞書を引くと、接頭語の「お」には、「親しみ」との項目を発見。なるほどね。
生活で不便を感じている事柄を、解答する側に「悩み相談」というと重くなりすぎるので、「お悩み」ということで少し軽く教えやすくするための工夫にもとれます。他人が永年積み上げて得た、知恵と知識を、ちゃっかり自分が苦労せずに入手するための方便として、使っているようですね。
「お悩み」を持つ側にとっては、とっても都合の良い言葉なのかな。と、近頃では納得気味になってきています。
悩みの解決方法がこんなにも変わったんですね。悩み苦しんだり、解決のために行動も起こさずに済んじゃうんです。一粒の涙も流さない・・・。苦労せずにちゃっかり教えてもらって楽して解決できる。悩みの感情のインスタント化。
便利だけど、深みがない・・・。そんな世相を反映する言葉の出現じゃないのかな。なんてね。
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