インターネットで特に気になる記事を見つけました。
「民主党が成立を目指す人権侵害救済法案がヤバイ 令状なしに家宅捜索及び押収可能」
というものです。そういえば、ビートたけしさんのテレビタックルでも触れていましたから、もしもこの法案がまかり通ってしまったら、自由に話せない、書けない、自由も無くなる一昔前の戦前よりももしかしたら窮屈な、そして怖い世の中になっちゃうかもしれませんね。
今の平成の世の平和な日本の暮らしやすさを私はなくしたくありません。ですから、法案通過前にちゃんと意見を述べることをしておきたいです。反対だと声を上げておきたいと思います。少なくとも今日の私の知る限りに於いての判断では反対だと。
審議を尽くし、その結果により考えが変わることがあるかもしれません。が、この法案に対する報道と資料と成り立ちの説明は極端に少ない現状です。判断材料の限られた一般人としては、少ない材料で判断を繰り返し主張をしていく・・・。だとしても、言論の自由の維持は言論を発して守りたいのです。
この懸念される法案の通過は果たして大多数の「普通の国民」を幸せにするためのものなのでしようか。一般からかけ離れた感覚の、ごく一部の声高な人たちを極端に保護するためのものとして用いられる懸念は果たして全くないのでしょうか。「普通の人の普通の人権」はこの法律ができたとしても、ちゃんといままで以上に保護され、一方のみの人権のため、他方の人権をないがしろにする懸念はないのでしょうか?
法案内容を国民にわかりやすく周知させ、論議の土俵にあがらせ、問いかけ、民意を得ようとする努力を政治家とともにマスコミの多くが真摯な行動で対応してくれるように望みます。
言論封鎖による悲しみはわが国には不要です。
リビアなど今、国が大きく変わりつつある多くの国国。他国の独裁政治の悲劇の仕組みを見るとき、言論弾圧こそが国民を長く悩ませ続けた元凶でした。この独裁と強権の仕組みの歴史事実を忘れてはいけません。この法案がどうしても不幸の種・災いの元に見えてしまうのです。
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