1本の柿の木
明日から飛び石連休ですね。仙台市内は街の木々がいろづいてとてもきれいです。でも、もっときれいかも。とくやしいながら見ほれてしまうのが福島県です。
福島に行くと「うつくしま」という標識を目にすることも多いのですが言葉どおり実に日本のふるさとそのものの美しさです。とくに福島市のハナミズキが堀端に植えてあるポイントを通過するときは、春でも秋でもいいな。と思います。
どうということもない、県内の町の中のただの通りでもそうです。とにかく、なんとなくきれい。福島駅の広い通りには整然と街路樹があり、こちらもきれい。
嘉子の人生最高の忘れられない美しい景色の思い出があります。季節が変わり、もはや特定はできなくなったのですが、桑折と国見付近の4号線より山側のところの春のことでした。渋滞する道を避けて、近道を探しなんとなくドライブしていたときに見つけました。
菜の花と桜と桃が咲き、普通の民家の庭先と奥羽山脈の残雪が映える景色が、素朴なのに澄み切った空気と太陽の光と空の青さでこの世のものとも思えないくらいでした。
先日、福島県内の除染作業で、庭の木がほとんど切られてしまっている家主さんがテレビに出ていました。土もこそげとられて広いお庭が茶色くまるでこの前造成したばかりの土地のようになっていました。そこに、ポツンと柿の木が1本だけ残っていました。どおしても切ることができなかったと。自宅を新築したときの記念樹だそうです。葉がほとんどなく、小さな柿の実が何個か色づいていました。
原発事故は、あまりにも罪作りです。
この美しい福島の木という木、草という草、庭という庭から植物を奪い去るほどの事故になってしまいました。そんなことをしてまで、このおぞましいエネルギーを使い続ける価値が原発にあるのでしょうか。草木の無い生活よりは、電気の無い生活のほうがマシです。
なのに、遠く離れた地域では発電を再開するとか。地元の理解があるだなんて疑わしい限りです。再開を許した自治体の住民さんに、福島県に来て、自分の家がこのようになるかもしれないと、現実に目にし、体感してもなお、賛成するかをうかがいたいほどです。
福島は、地元の狭い自治体だけが被害を蒙ったわけではないのです。絶対にこの苦痛は万が一にも更に生み出したりしてはならないのです。
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