「開けろ」とか「閉めるな」とかあって「塞ぐな」は・・・
TPP交渉参加を安倍総理大臣が決断し、いよいよ聖域を守り切れるかが勝負になってきました。参加には実は反対ですが、アメリカとの関係をこのために失うことはできません。すなわち国防できにくくなるので、日本を戦争から回避し維持するために仕方ないこともわかっています。信じて任せるしかありません。開国どうこうというのはペリーさんが来たあたりからの課題で歴史は繰り返すのですね。
この1週間は震災後2年ということで特集がたくさんありました。原子力発電所の事故の時、当時の総理はベントしろと言い、現場を混乱させたと指摘されています。私はその是非はわかりません。とにかく騒ぎが起きたということです。「開けろ」というわけですね。
その人ですが、昔「閉めるな」と騒いだことを思い出しました。諫早湾の水門は「閉めるな」ということで、ムツゴロウがどうこうとテレビでは水門は悪の象徴でした。あの当時、諫早湾を取り上げ、コンクリートを敵視し、自然保護こそ至上命題としていた風潮がありました。そして騒ぎの中心にいたように感じています。
最近では、太平洋沿岸に高い堤防を張り巡らすというニュースがありました。漁業者にとっては作業がしにくく、津波の音も聞こえず、危険度も見えなくなるため、かえって逃げ遅れてしまうことを誘発すると、その危険性が指摘されています。
万里の長城と呼ばれたほどに堤防を要塞化した地区も被害が避けられなかったことは知られています。つまり要塞化しても効果としてはどうだろう?ということです。地元は困惑の中。でも仕組みの中で街づくりが遅れることも本意でなく、結局受け入れるしか道がない。なんだかTPPと似ています。
私は今の計画は賛成で反対です。安全も大事です。堤防は無いよりはあった方が安全である場合が多い。ですが、高すぎるのはいやです。真ん中くらいの規模が希望です。やる場所とやらない場所をほどほどに。と希望しています。要塞の中に暮らすことを地元は望んではいないし経済的負担も維持管理も今後大変かもしれません。工夫する余地があるような気がしてなりません。
漁業の作業を優先させ、堤防計画より安全性が低めでも、昔風のあっさりと景色が楽しめる港でいいと考えています。津波からは早く逃げることで物損はあっても命は守れます。堤防建築用資金を使わずにプールしておき、津波被害があったらその堤防用のお金を即みんなに配り、またそこで商売をはじめやすくしておく。とか。そういうお金の使い方はどうでしょう。素人考えですかね。
遠い地方の水門も、今回震災後の堤防計画も海と隔絶するのは似たりよったり。諫早湾だって水害に悩まされた地域ときいています。種類は違いますが水に対する備えとしては今回もです。ムツゴロウって今どうなってるんだろう・・・。食べたことがあったように記憶しています。
当時の人たちは、選挙で惨敗。あんなに息をあげていた「コンクリート悪」で「自然保護命」的主張をしなくなったのは与党として現実を勉強した成果?かしら。俗に言う市民団体と言われる人たちも堤防に対する声としての活動は聞こえてきません。
「三陸の海」とか生態系とか言わない理由はなんなのかしら?三陸はとてもきれいですよ。なのに自然景観維持としての視点、漁業生活者の作業効率などを政治家も運動家も東北の海については論じきっている風に感じません。あの時分のような国論を二分するような強烈な反対を知らないままです。反対派にとって「〇〇」になる要素がないからですかね。
海と人に影響のある面積はずっと広いはずなのに。けっこう不思議です。ちょうどいいバランスの政治運動というものは世の中に存在できないものなのでしょうか。
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