放火とか失望とか
小学校の若い教師が学校に放火したと伝えられています。先生が学び舎に火をつけるだなんて正直驚きました。児童らはさぞショックでしょう。これからどのようにして先生方への信頼を回復するのか、仲間の先生方は重い荷物をしょわされて現場では大変な想いをしてしまうことになりそうでご苦労が今から察しられます。
放火といえば、なにも本物の「火」だけを表現するものではありませんね。言葉やペンにより、精神的な怒りや紛争に火をつけてしまい、人間関係や国家間の関係を緊張状態や争いに招くこともある種の放火のように感じてしまいます。
あるとろこの新会長さん。いろいろと騒がれていますね。動画を拝見しました。問題視されてしまい気の毒に感じました。記者から質問されて、場をわきまえて最初は答えないでスル―しようとしたら記者の人に食い下がられていました。仕方なく個人的意見とちゃんと前置きをしたうえで発言していました。
動画から感じた雰囲気としては、はじめからこの場で、新会長に考えを語らせることで失言を引き出し、新聞ネタ作りをしたうえで・・・・。ある種の方面の人たちの反感を助長し、あらゆるところに飛び火をするように記者がわざわざ火の手をあげるようにしたかったから、答えたくないと言う人に対してなおも粘ったのではないか、と、感じられました。
こうしたマスコミの取材態度が続くことを市民・購読者・視聴者はおそらく望んでいないはずです。会見で質問をする記者さんたちは、自分の質問がもたらす影響についてもっと熟慮・配慮が必要そうです。
会長さんが「答えない」としたらのなら、答えないままスマートに会見を終えても良かったのではないか。そもそも発言がどうこうと取り上げる際には、同時に各国の歴史的事実の有無の検証記事を証拠としてきちんと出して、丁寧に一般人に不適切発言だとする根拠を提示していただきたかったなあ。と今マスコミではなにかとはやりらしい「失望」という言葉がマスメディアに対して浮かんだりしたのでした。
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