家事を外国人に・・・の考えの出所
やっぱり日本女性の考えではありませんでした。
女性が社会で活躍するために「移民」を受け入れて家事をさせ、日本女性が家庭の外から収入を得るようにしよう。とする動きが伝えれてから数日になります。私はそんな考えが本当にやまとなでしこの考えのはずはないと、違和感の固まり、なんとしてもあり得ない気分でした。
そんなこんなでいましたら、とある方から、この考えは日本人から出たものではなく、アメリカ発のことだよ。と教えていただきました。出所は下記のところらしいです。
http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPTYE9BB08120131213
これで合点がいきました。ですよねえ。やはり外国からの〇しつけだったんですか・・・・。
日本ではお手伝いさんを雇うということは、行儀見習いを家庭に入れるということと同義でした。若い女性に住み込みで働いていただきつつ、その大きな家に伝わる文化や家事や接客などのノウハウを教える。
ですので、賃金が比較的安くても女性たちは一生懸命その家のために尽くして働いていただけていました。人間関係は主婦とお手伝いさんはいわば先生と弟子のような共存共栄関係です。基本的には尊敬と慈愛を元に成り立っていました。ですから、一部では、心無い雇われ方をしていた人もいたでしょうが、多くはけっこう良好な雇用関係だったと聞いています。
単にお金のためだけの関係は日本家庭にはあいません。お金で家族の要である大事な家事を手放す文化は日本にそぐいません。ある時期、お父さんの洗濯物のやり方で論議がありました。不思議な報道だなあ。そんなことないはずなのにと感じていました。身近な女性たちを見ますと、文句をいいつつも、面倒に思いつつも、実は家事を楽しんでいる節が見受けられます。
家族の身の回りの世話を自分が担っているのだという、責任感や誇り、存在意義を確認できるわかりやすいものが家事です。
多くの主婦たちは、家を快適に守る自らの腕前、できばえ家計の切り盛りのしかたに実はひそかながらも高い誇りを持っています。せっかくの愛する家族の洗濯ものをお日様に当てる喜びを、むざむざ見ず知らずの外国人に渡すような愚を考えるはずなどなのです。
ふむふむ外国発の考えね。とわかり、安心したのでした。
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