フツウA
※前回の フツウ のお話の続きです。
電車が通れなくなる不通を鈍行列車の普通と勘違いしていた私。こんな程度のことにどうしてあれほどまでに感動し、数十年も記憶し続けることになったのか。それにはある種の教訓があったと自らが自覚したからでした。
台風により線路がことごとく壊され、まったく線路として使えないこと、使用不可能な線路であることはテレビの画像で明らかに認識できていたのでした。だからこそ子供ながらも
「どうやって普通電車(鈍行列車)は、走るのか」
と疑問を持ったわけでした。そして毎回心で突っ込みを入れ続けた・・・。線路が壊れているのだから、たとえ各駅停車だとしても、どんなにゆっくりだろうと、電車はまるっきり走れるはずなどないではないか。と。
それでもそこでおしまいになって勘違いを続けたのはなぜか。そう、思考停止していたのです。電車に対して発せられる「フツウ」という響きは特急や快速に対する「鈍行」を意味するものである。と頑なに信じていたせいです。それ以外のフツウの選択肢の存在があるだなんて、微塵も思いもせずに、違うことを考えようとする思考回路が皆無だったのです。
電車の「普通」という言葉を覚えて、子供特有の得意気な心理が働いていたのかもしれないですね。特急と普通、快速と普通という電車の走り方の違いを「賢い自分」は知っているのだ、どう。すごいでしょ。という慢心があったのかもしれない。
ニュースという公の電波に乗せられた情報や事実でさえ抹殺するかのように思考していました。自己の中に芽生えた疑問や矛盾があるにも関わらずに、なんら検証することなしに、時を過ごし「疑問解決への不作為」を平然と行っていたことに驚愕したのでした。
以来、自らの知識は皆無ではないながらも、しばしば大きな勘違い、または、情報と知識を繋げる回路不足による至らなさがあることだってあるのだ、と肝に銘じたのでした。中途半端は真ん中あたりを意味する普通というのとはきっと違うのでしょうね。
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