良い環境とは静か、というのとは違うように思う
千葉県市川市で私立保育園建設が近隣住民の反対により断念しました。子供の声がうるさい、道路が狭くて危険というのがその理由でした。静かな環境が壊されるとの心配のようですね。
さて、不動産屋さん的にはこんなニュースを見ますとつい「ある表」を思い出すわけです。宅建の試験を受ける人ならだれでもが目にするものです。用途地域内の建築物の用途制限の概要を一覧表にしたものがソレです。
その中の例示では、保育所等、公衆浴場、診療所は神社、寺院、教会等のまとまとりと並んで数少ない「どの用途地域でも制限されていない」ものの一つです。都市計画区域内ならどの用途地域でも建ててはいけない×印はありません。簡単だから受験生はすぐに覚えることができます。ついでに書いておきますと、巡査派出所と公衆電話も同様です。
裏返せば、都市計画区域内ならどの用途地域に住んでいる住民の方でも一人残らず自分の隣近所に保育所が建築される可能性を秘めているともいえます。決して人ごとではありませんね。
工業専用地域であっても、保育所建設が可能なのはきっと親が働きながら工場の保育所に預けることができないと困るからでしょうね。子供たちはそんなときは少々音があったとしても環境に適応し、慣れながら育つわけです。保育所にいる子供たちは、自分の親と離されてしまって淋しくても保育所にいます。まとまった時間を他人の手に助けられながら育ちます。社会で人が生きるためにはたとえ2つや3つの子供であっても、ちょっとずつ心身ともに社会に適合するための折り合いをつけることを身に着け日々成長していくんですね。けなげです。
保育所で育つ子供たちの寂しさやガマンとともに同世代の友達と会えたり学びの喜びのあることを知ってか知らずか、ご近所さんは自分たちの「個」の環境維持に目を向けて過ぎてはいまいか?「譲り合い」の気持ちが持てない理由はどうしてなのかが気になりました。
子供の声を許さない地域、静寂至上主義ってどうなんでしょうね。仕事柄郊外にある住宅街に昼間行きますとあまりの静かさに戸惑うことがあります。ほぼ自分の足音しかしないほどの静寂。しーんと人気の感じられない家並みが延々と続いていたりします。歩きながら咳をしたら数十メートル先まで聞こえてしまいそうで呼吸するのも遠慮な位です。「良い環境」の条件にはしばしば「静かさ」が挙げられます。でも静かすぎる街並みに行きますと、別の意味でいい環境には思えず落ち着きません。何事も程度問題です。
住宅地とは区画割りをして家を建てて、それでおしまいというものではありません。地域の価値を高めるためには例えばごみが落ちていないこと、治安が良いことなど総合的に判断されます。保育所を排除する地域として社会に認知されるよりは、そこそこの音なら互いに許しあえる許容範囲の広い社会、子供の声に徐々に慣れていける度量の広い大人たちが住む地域の方が生活しやすいのではないか・・・。互いを許しあえるおおらかな気風の住宅地に育てていけば結果的に資産価値が上がりいいことづくめになるのではないかな、などと思いました。
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