聖徳太子の危機!
聖徳太子の呼び方を教科書で変えられてしまいそうな心配な動きがあります。「聖徳太子」というのは生きている頃の名前でないから・・・。というのが理由だと言うのですが私は反対です。
聖徳太子が好きだから、というだけで反対したいのではありません。もしもそんなことを許してしまえば、日本の歴史どころか世界中の歴史がごちゃごちゃにされてしまいます。だって理由があって1つを直すのなら、他の人物らも全部ちゃんと基準を作り整える必要が出ますよね。それが学問でしょう。
そんなことをしましたら、歴代の天皇陛下全員の呼称は言うに及ばず、女性の歴史上の偉人や、ありとあらゆる分野の方たちが被害を受けてしまいかねません。それは、過去の人に限りません。現代だって「整合性をとろうとすれば」必ず無理が出ることが容易に予測できます。
たとえば、「道綱の母」みたいな皆さん方はいったい全体どうなっちゃうのか・・・。昔の女性は本名が後世に伝えられていない例は枚挙に暇がありません。当時の本名が伝わっていなければ、必然的に「名無し」扱いにされちゃうんですかね。昔は成長に合わせて名前が改名されていました。どこを選ぶのかも論点にする必然性が出てきてややこしくなります。出家してからの名前か、それともその前か、をイメージしていただくと分かり易いかもしれません。篤姫か天璋院か。みたいな。
今の教科書には、本名や当時の呼び方が必ずしも教科書に反映されていないものが他にもあるはずです。例えばイエス・キリスト。キリスト教が日本に伝来した頃はウィキペディアによりますとイエズスと呼ばれていたとのこと。すると、聖徳太子に準じて直すとしますと、全部これからは「イエズス」にする、という話が出ても不思議はありません。
モハメッドもそうです。ウィキペディアによりますと、とっても本名が長いんですよ。本名表記にするべきだ、というのなら、こちらも全部書くようにするしかありませんよね。引用してみます。
フルネームはムハンマド・イブン=アブドゥッラーフ・イブン=アブドゥルムッタリブ(محمد ابن عبد اللّه ابن عبد المطّلب Muḥammad ibn `Abd Allāh ibn `Abd al-Muṭṭalib)で、「アブドゥルムッタリブの息子アブドゥッラーフの息子ムハンマド」の意味。ムハンマド (محمد , Muḥammad)の意味は「より誉め讃えられるべき人」。
となると、今はモハメッドで済んでいるものがこれからは「・・・の息子・・・・の息子」全部と書かなくちゃならないことになります。社会のテストで友達同士で「言える?」「おおっ、俺は完璧に覚えたぜ!!」「やるじゃん」 みたいな会話が想像できます。でも、覚えきれない人達にとっては相当大変そうです。
歴史の流れの中で今に定着してきた呼び名があります。出来事も歴史の中で呼び名を変えています。太平洋戦争と習いましたが、大東亜戦争と当時の日本人は呼んでいました。隣の某国の国名は英語表記と日本語の呼称がずいぶんと異なっています。そうした矛盾やいろいろを呑み込み歴史を重ねています。日本と同時に世界もいっしょに時を刻み今があります。聖徳太子と同様にこの際、他の歴史上の人物に当然に改称の話が出ていないとすればどこかがおかしい。と胸が騒ぎます。なぜ聖徳太子にのみスポットが当たっているのかを注目すべきです。
拓殖大学の藤原信勝先生が産経新聞の「正論」で書いてる記事が私と同じ意見でした。
http://www.sankei.com/column/news/170223/clm1702230006-n1.html
二酸化炭素の話が早速出てた
昨日トランプ大統領が温室効果ガスについて大統領令を出す動きについて書きましたところ、早速「虎ノ門ニュース」で須田慎一郎氏と武田邦彦氏が解説していました。武田先生の植物の生育についての見解は一旦脇に置いて、政治的経済的な事柄を数値を示し、他国との比較を示しての解説は実に素晴らしく分かり易いものでした。
排出権取引の背景や、数値目標がどうやって決められていったのか。クリントン大統領の時代からオバマ大統領の時代にかけての世界の動きまでわかりました。昨日私が疑問に思っていたことのほとんどが目から鱗が落ちる勢いで理解が進みました。胡散臭いと本能的に感じていたこと、直感みたいなものは当たっていました。スッキリ気分です。
https://www.youtube.com/watch?v=ZqXdV7lfJTg
※動画の1時間12分頃から1時間25頃までがその話題のところです。
二酸化炭素のこともそうですが、突然、メディアでいちいち良さそうに宣伝されるものはまず疑ってみる必要がありそうです。
今後、地上波や産経新聞を除く有力紙が、この温室効果ガス問題をどう扱い、どんな解説をしていくのか。斜めな視線の楽しみが増えました。
二酸化炭素は要る?要らない?
トランプ大統領が、温室効果ガス削減目標の根幹であるクリーン・パワー・プランを撤回する大統領令の準備にかかった。と報じられていました。火力発電所の二酸化炭素排出を規制する政策ですが、トランプ大統領は温暖化問題に懐疑的なのだそうです。
私にはよくわからないのですが、テレビでお馴染みの環境学者・武田先生の動画で、二酸化炭素が無いと植物は育たない。だから二酸化炭素を少なくし過ぎるのは良いことではない・・・。といったことを話ていらっしゃいました。理科の時間に植物が二酸化炭素を取り込んで育つことは小学生の時に習ったのですからこれは間違いがないはずです。問題は「適量の値」です。
すると、と、ど素人の私は乏しい知識の中で思考します。
地球上には砂漠化している地域もあるくらいなのですから、もしかしたら極致的には二酸化炭素が足りない地域があるのかも。と仮説を立ててみるわけです。空気に国境はないのだから、ちゃんと水と二酸化炭素を必要な地域にいきわたらせられたらいいんじゃないのかな。などとスケールが大きすぎるけど、前向きな妄想が湧きます。
発展途上国では人口が爆発的に増えているのですから、その分植物の生育を助けないといけません。食料が不足したら大変です。品種改良などで農業技術は向上していますが、作物がたわわに実っている地域ばかりでなく食事が十分にとれていない地域があることは周知の事実です。
でも、賢い人たちは地球が温暖化するのは石炭をくべて二酸化炭素を出すせいだ。と言う・・・。二酸化炭素がいっぱいあっても草木が育たず砂漠化しているのに?減らしたらもっと砂漠化しちゃう心配はないのかなあ。どうもしっくりしない。排出権取引なんていう「お金が絡んでいた」話。最近聞かないけどなんで話題になっていないのでしょう。
ちょっと前までは、南極だか北極の氷がたくさん溶けると海面が上がってどうこう、と大騒ぎしていました。しかしそのあとから、コップの中で氷が溶けたからといってどうだこうだ。と。オイルショックの時は数年後には石油がなくなるみたいな話で大いに心配をしたものでしたが、つい先だってまでは、石油の価格競争が激化していて、しばらくの間は安く買えていました・・・。
その時時に騒がれていた内容、まことしやかに信じ込まされていたことが結構嘘だったことがあります。だいぶたってから、あれは違うかったよ、みたいに説明されて。
だから「今もっともらしいこと」が、必ずしも正しい、と信じる気は無くなっています。二酸化炭素は要るの?要らないの?ちょうどいい量ってどのくらいで誰の学説が正しいの?たぶんトランプ大統領はまた悪者扱いされちゃうのだろうけど。トランプ大統領が温室効果ガスのことに懐疑的な理由は必ずあるはずです。そのうち、バラエティー番組の話題になるのでしょうかね。
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