2018/06/14 13:33:38

川村孫兵衛さんと現代の作業員さんたち

多くの田んぼや畑には緑がいっぱいです。この季節、旺盛に葉を茂らせ、稲や作物が食卓に並ぶ前準備の成長を続けています。私の住む仙台平野では日本でも美味しいことで定評のひとめぼれをはじめとするお米や果物、野菜が豊富に収穫出来ることで知られています。


私たちが飢えずに暮らせているのはどうしてか。それもこれも、先人らが土地を開き、治水灌漑を行い、田んぼ、畑として使える土地にしてくれたおかげです。
歳をとったからでしょうかね。それとも震災を経験したせいかしら。子供の時、若い頃には特に何も考えずにそこに田んぼがあり、水を張っているのは当たり前で普通のことだと眺めていました。


それらの風景が、本当は努力無くしては存在しないもので、先人の苦労とそれに続く人たちがどれほどの汗と努力と協力を通した甲斐のたまものなのか。守ることの厳しさあってのことなのだとわかることができるようになりました。ほんの僅かですが、以前よりは精神性の成長を実感できています。こんな歳になってからやっとですが。深みを持って思いを致すことができるようになれました。


そんな意識を持てるようになって以来、どぶ板一つ、用水路の流れを見た程度でもスイッチが入ると涙が出てしまうことがあります。それは感謝によるものかもしれないし、感動なのかもしれないし、次につなげる使命感かもしれないし・・・。涙の訳は簡単には説明出ない感情ですがそのいい意味での胸苦しさも含めて年齢と経験がもたらす感情の奥行の広がりを喜んでいます。


昔の人の公共工事、土木工事の歴史を知りますと、今もいろいろな工事現場の人らが頑張っていることに思いが広がります。すると現場の風景が違って見えてきます。暑い最中にタオルで汗をふきふき重機を動かしたり、作業員さんちが黙々と作業をこなす日常風景が超カッコよく見えてきます。だってこの工事が数百年先の誰かの暮らしを守ることになる、そんな夢ある仕事をしているってことですものね。



6月12日には宮城県沖地震から40年、そして本日6月14日は宮城岩手内陸地震から10年になりました。宮城県沖地震の時は高校生でした。あの日はだしで家から逃げて、神棚の上から榊やお札などが落下する音を後ろに聞きながら地割れしそうな庭の揺れにおびえた瞬間を思い出します。その後、またも宮城県が甚大な被害を受けた内陸地震。「山が光った」と内陸地震で被災された方からお話を伺いました。あれより大きな東日本大震災も経験しました。宮城県は数年ごとに自然災害の試練を与えられています。


そんな自然災害の中には地震だけでなく水害もあります。川の氾濫もあります。北上川の氾濫に対する備えについて考えるときに忘れて欲しくないのが、川村孫兵衛さんについてです。石巻市で毎年8月1日、2日に開催される川開き祭りの開催理念の崇高さを改めて実感します。川開き祭りは川村孫兵衛さんに感謝をする日だからです。


川村孫兵衛さんは伊達政宗公の元で治水灌漑に尽力したこの地域の偉人ですが、残念ながら石巻市以外の人にはあまり認知されていないかもしれません。下手をすると石巻市の人もただ単に楽しいお祭りだ、位なもので川村孫兵衛さんについてノーマークだったりして・・・。


そこで、今日は農林水産省のホームページにわかりやすいものがありましたので張り付けて置きます。


http://www.maff.go.jp/j/nousin/sekkei/museum/m_izin/miyagi/


治水の名手 川村孫兵衛


仙台藩の新田開発と河川改修を進めた川村孫兵衛二代記


今からおよそ360年前の江戸時代、北上川・江合川・迫川は大雨が降るたびに洪水がおこっていたので、仙台平野北部は米作りには適さない土地でした。この仙台平野北部の新田開発こそが、仙台藩の悲願でした。


そこで、初代仙台藩主・伊達政宗公は、北上川から石巻港に至る運河のための水路整備と、北上川の水害を防止するため、 川村孫兵衛重吉に河川の改修を命令しました。孫兵衛重吉は、工事の設計や現場監督だけでなく、工事資金の捻出や年貢を少なくするよう藩に掛け合ったりもしました。工事で働いている人たちは、親身になって自分たちの身を案じてくれる孫兵衛重吉に応えるように一生懸命働き、改修工事は見事完成しました。これにより、北上川・江合川・迫川の水流が安定し、水はけも良くなったことで、仙台平野北部の新田開発は急速に進みました。


さらに、孫兵衛重吉は、改修工事と同時に石巻の築港工事も行い、水上交通の整備に努めました。これにより、河川を使った人や物資の運搬が盛んになり、収穫された米が石巻港に集められ、江戸に送られました。仙台米は、当時、江戸で消費された米の三分の二を占めたとも言われています。


その後も、重吉は、仙台城下の用水路を整備するため「四ッ谷堰」を建設したり、水上交通を整備するため「貞山堀」を建設しました。孫兵衛重吉没後、その志を継いだ養子孫兵衛元吉が貞山堀を完成させました。元吉は、当時荒野であった伊豆野原を開墾するため、一迫川上流に「伊豆野堰」を建設し、原野を実り豊かな美田に変えました。


川村孫兵衛が二代にわたり大工事をおこなった結果、宮城県は「豊穣の地」となり、現在も美しい田園風景を見ることができます。







会社概要

会社名
(株)ネクサス
カナ
グラントップ
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宮城県知事免許(2)0006306
代表者
引地 由花
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TEL
代表:022-724-7780
FAX
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営業時間
09:30〜17:30
定休日
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