冷や飯持参でボランティア活動
連休中のテレビのこと。スーパーボランティアの尾畠春夫さん(78歳)が情熱大陸大陸で取り上げられていました。2歳の行方不明になった男の子を山の中からわずかの時間で見つけ出してから時の人となっています。
私が、尾畠さんがすごいと感じた点はたくさんありますが、強いて言えば2つあります。1つは若い現役時代から終始一貫して他人のために汗を流し続けてきたことと2つ目は配慮の行き届きです。活動前の段取りの周到さと用心深さによって要らぬ憶測や誤解を周囲に生まないようしています。明るく準備をして動いている姿は鏡です。
東日本大震災の時は南三陸町で長期間ボランティア活動していて被災地ではすでに超有名な人だったということですが、この男の子の捜索成功で更に全国に知られることになりました。登山家だった尾畠さんに山の神様がそっと居場所を知らせてくれたのだとしか思えないような絶妙さでした。
ボランティア活動先での食事風景、すごいですね。すべて食料を持参して行く。レトルトご飯やおかず類を持参し、被災地の人たちのために用意された食糧や水をわずかでも減らさないために万全の準備をして出かけています。真のまごころ人を助けに行く行動の取り方とはこういう風にすべきものだったのだと感服しました。
どこぞの報道記者らの準備不足、態度の醜態や、どこぞの政治家の「冷や飯」発言・・・。未熟で至らない彼らの精神性、段取りの貧弱さとは大違いです。人は過ちを犯してしまった時に、社会から批判されることで気づきを得るところもあります。きっとこれからの報道関係者らは、被災地で被災者のための食料を奪うような情けない準備不足では出かけず行動が進歩すればいいですね。
それから、活動でお礼や報酬を受け取らない理由を述べていました。心の変化を恐れて、といった趣旨のことをおっしゃっておられて。なんか、それ、わかる。という心境になりました。
ジーン、うるうる場面は尾畠さんのお母様のこと。幼い頃死に別れたお母さんに強く抱きしめて欲しかったと。78歳の筋骨隆々たる男性が母親恋しさの気持ちを話す人間味・・・。どんなに辛い子供時代を生き抜いたのか。救出の後、新聞か何かで読んだのですが、農家の奉公では食べ物が十分でなくて、魚屋さんに働いたらその食事の良さに驚いたといったものがありました。苦労なさったんですね。
誰もがあのように体力を使うボランティア活動に行けるわけもありません。でも自分の近いところで役に立てるかも。自宅前の道端のゴミを拾うとか、ちょっと困っている人を何気なく気遣うとか。 尾畠さんを想うと宮沢賢治の「雨ニモマケズ」のカタカナ文字列が頭の中に映像化されます。
結局、桂小五郎・・・
大河ドラマ「西郷どん」を見て桂小五郎って何した人だっけ、から始まり小学生向け漫画を読んだところまでを先のブログに書きました。概要だけなので話が浅くて。この児童漫画だけでは大河ドラマを超える桂小五郎豆知識獲得までには至れませんでした。
幕末から維新にかけての時代のおおざっぱな概略をつかんだだけでもまあ、良しとしようかな。とも考えたけど、維新の三傑と最終ページあたりで華々しく締めくられていたにも関わらず、自分の理解は桂小五郎についてかくも未熟なままでいいのかな。とも反省。
そこでレベルアップすべく、児童漫画からやや難しめ、詳しめの「読む日本史」的な文字ものの児童書をまたぞろ借りて来ました。
なかなかいい。かなりいい。幕末、明治維新あたりのお話がお好きなマニアはたくさんいますがその気持ちがなんとなくわかる。教科書と違って物語風に語られていますので感情移入しやすく興味がそそられます。150年前の話ではありますが、わかる、わかるよ、その気持ち。
あの時代は本当に大変だったんですね。ペリーたちがどんな風に日本人にとってイヤーな雰囲気で圧力をかけて来たのか。攘夷の機運が高まるのは当たり前。その時ぞれぞれの立場の人はどう考えどう行動したのかを多角的視野から上手にまとめて書かれている本に出合えました。
私は生まれ育ちが東北人ですから、どうしても会津側を味方したくなります。白虎隊のところは常に涙腺崩壊。北海道の歴史とか、下北半島のあたりで苦労した人たちの話も浅いながらも知っているため敗者側の歴史感が強めです。しかし一方では感謝もしています。当時は外国の植民地にされる心配が目前に迫っていたのだから、結局はあれしか救う方法、やりようがなかったのでしょうから。
ところで四民平等の解説に、四民平等の世の中にはなったが、「官尊民卑」になり、役人が威張り散らすようになった。といった趣旨のことが書かれてあり、うんうん、たしかにそんな風な時代あったよねえ、となりました。ちょっとずつではありますが世の中は確実に一般人にとって暮らしやすくなってきています。
むしろ昨日の仙台東署管内の交番でお巡りさんが近所の大学生の凶行で殉職してしまうなど、公務をする方たちの安全確保や労務環境をもっとなんとかして安心して働けるようにしてあげられないかとさえ人々が思うほど、官民の人権保護的な考えに逆転現象が起こってるようにさえ感じています。慎んでご冥福をお祈り申し上げます。
さて肝心要の桂小五郎についてですが・・・。この本でも漫画よりは詳しいけどまだ不完全燃焼気味。伝記とかじゃないと足りないのかなあ。
北海道地震の時のこと
北海道地震の発生から本日で1週間になりました。まだあの時の興奮が心と体に残っているせいか、未だになんとなく疲れが取れきっていません。道民の方たちは現地で不自由な暮らしを続けているのですから愚痴っていてはいけないのでしょうけど。
さて、次回の災害に備えて忘れないうちに記録を残しておきます。当時気づいたことをいくつか。
@水に関して。ホテルは断水していなかったのですが1階レストラン脇でトイレを利用し、普通に下水を流しました。そして手を洗おうとしたら水道が自動センサーで制御されていたため手を洗うことができませんでした。いつもなら便利な機能ですが、こういう時には困ります。幸い使い捨てのおしぼりが近くにあり清潔は保てました。部屋の水道は手動なので問題なく使用できました。
A自動販売機について。電気が止まってはいますが中にはたくさんの飲み物があります。お店のほとんどが街中閉店していました。飲み物の買い出しが困難。そこで私たちはホテルの方に「鍵を開けて中の商品を現金で売って欲しい」とお願いしてみました。
すると「自販機は管理が別会社のためできない」と申し訳なさそうに。たとえ建物の中にあるものであっても所有、管理が異なれば勝手にはできないので仕方ありません。仕方なく諦めました。
B停電はすぐには始まらず、揺れが収まってから数分間は電気がついていました。他の地域が停電したとテレビニュースになっていました。しかしこちらが通電しているから何も対策をしませんでした。あの時の電源がもったいなかったです。停電までの15分から30分間を活かしてすぐに携帯電話やスマホの充電を開始すべきだったと反省しています。
灯に関しては停電と同時に非常電源が作動して、灯りがずっと灯っていました。眩しかったのでタオルで目隠しをして就寝しました。他のホテルがどうだったのかまではわかりませんが、非常電源があった施設は札幌市内でも多くはないかもしれません。暗闇の中で手探りで・・・。という怖い思いはまったくせずに済みました。
C宿泊したホテルは毎朝ペットボトルのお水2本ずつを各部屋のドア前に追加で無料配布しておいてくれました。朝は1日目はパン、2日目はおにぎりの配食。通電直後の夕食時間には「宿泊者限定」でレストランを開きました。いくつかのメニュー限定でしたが食事ができるようにしてくれました。
総合的に考えますと、どのホテルに泊まっていたかの違いで被災後に大きな違いが出たのではないかと感じました。今回の宿泊場所を手配してくださったご担当者様に感謝しています。
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