山のあな
やまの あな あな あな・・・・。と連呼する落語家さんがいました。あのおじさんの顔は今でもはっきりと瞼に浮かぶけど残念ながら名前は思い出せやしません。そのくらいむかしむかしの子供の頃の記憶があります。当時はただ面白がっていました。
ある時、いい位に歳を重ねてから、この山の穴なる言葉はどうやら有名な詩の一部らしいとわかりました。その後、そういうことか。とその深みを知り感動しました。そしてこれを書いている今の記憶はまたもや子供程度に戻ってしまい、本物の詩とはなんだったのかを忘れてしまっています。
一度でも耳に入り記憶に残るとその時は理解していなくても、年月を経て接することで親しみを持ち興味を持ち、心に沁みる手助けになることがあります。この山のあなは、私にとって必要だったのか、不要だったのか、と問われれば私は必要だったと躊躇なく答えます。
最近どこかで聞いた話ですが、これから求められる人材を選別するときは「グーグル前」と「グーグル後」に分けて指標にするというものがありました。昔なら色々なことを記憶していて必要な時に適切な知識を出せる人(村の長老的な人)が重宝された。でも今は検索すればその程度のことはすぐに調べられるので、独自性のある人材が求められるようになる。という考え方でした。
なるほどと賛同しつつも、でもやっぱり基礎的なことを脳内にたっぷりとため込んでいないと「独自性」なんてそもそも出しようなんてないからなあ・・・と。斜めな考え方がむっくりと。
さて、来るべき AI時代ー。グーグル前後どころでない変革が迫っています。この人間の能力を超えた便利な道具の活用ルールに関してはG20関連のニュースによりますと日本がリードしていくようです。頼もしいですね。ほんのちょっと前には「スマホ」なんて想像もしなかったのが今は当たり前になってます。これからの10年後はいったいどんな風な社会になっているのか。私の想像力では何も浮かばないから山の彼方に行って探してみようかな。
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