2020/10/16 10:32:22

おっぴさん

ご先祖様の話を某氏としていた時に「何それ?」と言われてこっちこそ何それだよ、とちょっとばかりムッとした出来事がありました。この時の話相手は東北ではない他地域の出身者ですが仙台暮らしは数十年間に及ぶ人でした。


自分が話しをした相手がたまたま自分の話す単語、用語をちゃんと理解出来ていないような場面に遭遇することはどなたにも経験があるかと存じます。そんな時に他の人たちがどのような気持ちになりどう対応していらっしゃるのかは分かりません。


自分の場合ですと、自分の無知や教養の乏しさは完全に棚上げしてこの世には語彙を少なくしか知らないまま人生を終える人が一定数いるのだから仕方あるまいと割り切ることがしばしばあります。


更に語彙って漢字を読めないし意味を知らない人も結構居るんだろうなあ、みたいな、もはや会話内容を無視してしまい、どうでもいい範囲にまで妄想を広げることで自己満足度を高めに高め、自己肯定感を保つことに余念なくなりそうな悪癖まで持ち合わせております。


そしてその次の段階になると他者を下げて見る心の卑しさ、自分の至らなさを反省し始め、そうこうするうちに自己嫌悪に陥り、結果的には肯定気分と否定気分が均され・・・。表面的にはただの日常に戻っていたという無限ループの繰り返しで数十年の人生が経過しています。


目の前のこの人はきっと語彙を乏しくしたままで言語の習練もせずに人生を終える側の一人なのであろう・・・。などと厭味ったらしい上から目線でふむふむと看過して差し上げる、いつものマウント取り段階で我が人生でも数少ない経験がついにもたらされてしまう結果になるだろうとは、その時は想像だにしていませんでした。


話を戻しましょう。


それはブログ主の母の父親の父親についての思い出話の中での出来事でした。「おっぴさんの〇〇じんつぁんがね・・・」と私が述べたところ「おっぴさんって何?」というのです。


おいおい。からかうにもほどがあるよ。何気取ってんだよ。分かり切ったことをいちいち説明させんなよ、ということで「おっぴさんはおっぴさんだっちゃ!!」と切り返しいところでしたが、少し間をおいて「だっちゃ」ではもしかしたらますますこじれるだろうから「おっぴさんはおっぴさんでしょ」などと。発声をモロだし石巻弁から都会風の仙台弁に修正し、更に「だっちゃ」と「だいっちゃ」をキリッと敢えて封印した上で、標準語風に反論してみました。


すると、某氏。? わからないという反応です。本当に知らないらしい・・・。


おじいちゃんの父親を、じゃあなんて呼ぶんだよ、とこちらが質問したら「ひいおじいちゃんとかじゃない?」とかいう気どりに入った答。


納得できない私はすぐさまパソコンに向かい Google先生に問いました。


すると・・・。


おっぴさん


宮城県の方言  !!!!!


ショック過ぎる。じゃあ、あと、47都道府県の46都道府県の皆さんはなんておっぴさんのことを表現しているんだよっ(´;ω;`)。いや、なんと呼ぶのかの答をもう相手は既に話していたはずなのだけれど、そんな事はすっかり吹っ飛び頭真っ白状態です。


得意の日本語、単語の知識で完膚なきまでマウントを取れなかった経験、この分野での徹底的な負けに対する耐性なんてほぼ持ち合わせていない私は奈落の底に落ちた自己嫌悪からどうやって精神の平静、均せるまでに必要な自己肯定感を得たらいいのでしょう・・・。


で、数日後、宮城県民間での話のネタにしてみたらかなりウケました。良かった!! みなさんもおっぴさんは標準語だと信じて微塵も疑いを持っていませんでした。おかげ様で平常心にしっかり戻ることが出来ています。





2020/10/12 11:38:17

田村厚労大臣のフェイスシールド装着方法www

日本学術会議について菅総理大臣が6人の推薦を受けた学者さんを任命しなかったことを逆恨みする勢力が難癖をつけたことから大騒動が起きています。


日本学術会議は実は学問の自由を阻害したり国益に反するようなことばかりしていた反日組織なのではないのか?と疑いを抱いたネット民らが、具体的な批判理由、時系列、会員の所属先などを挙げて論評をしています。北大の教授に圧力をかけて研究の邪魔をした話やレジ袋の有料化、復興増税の提言をしていたこと知り、ブログ主はすごく頭に来ています。


この調子で世論の批判が増大していけば、近い将来、同組織には何らかの措置がとられることでしょうね。解散、その他の動きにつながるのが妥当なのではないかとブログ主は考えています。学問の自由を邪魔していたのはどっちだったんだよと。いろいろな事実が明るみに出るたびに、菅総理、河野行革大臣、いいぞ、頑張れとエールを送っています。


さて、今回の事の発端、人事についてですが、そもそも推薦を受けられる人というのは、いったいどのような資格やどんな経歴を有する人たちなのだろうという素朴な疑問がありますよね。他の組織も同様なのですが人事ってとても奥が深いようです。特に推薦を受ける受けられないっていうのは・・・。


巷で認識される「専門家」という風に思われている人というのは、大概、難関の国家資格に合格してどこぞの有名大学で教鞭をとっていたとか、有名な組織や企業で高いポストに就任していたとか、そういうきっかけから、いろいろな会合にたくさん顔を出しているうちに人脈が増えていき、それにつれて肩書が増えていって・・・。


そうこうすることがあって世の中の人は肩書の多さを見ることで、大したものだ、自分の知らないことを深く理解し、何か問題があれば解決する能力が高い人なのだろうと一般人が認識する回路が仕上がるように推理出来ます。


ところが、現実は専門の仕事を必死でやっている多忙な人って、とにかく暇がない。だから会合に行ってる場合じゃないし、自分の課題、仕事をして、更に会合に頻繁に行っていれば、他者を圧倒するほどの学習や研究をより一層深め掘り下げる論文を仕上げるだけの時間的余裕、暇が無くなっちゃう・・・。だから両立は実現が困難になりがちなんだよね。というネット民の辛辣な分析と批判は実はかなり当たっているんだろうなという認識でいます。


肩書はすごく重々しくまばゆいばかりなんだけど、専門知識、実力はどうなのかっていうと、実際は、現場の第一線で日々崖っぷちに立たされて責任を負わされて働いている人程度の知識、見識を、現場から離れても尚、何年間もずっと維持し続けるのはとても難しいはずです。


そんなちょっと古めの知識の人達が、我が国の学問の頂点の最先端の知識であり、将来の方向づけを決定するのに適任だと思い込まされていたら、いろいろと危惧することだらけになりそうです。


ところで、今ブログ主が読んでいる本は


木村盛世著 「厚労省と新型インフルエンザ」  講談社現代新書 です。


舛添要一氏が厚労大臣だった時代、2009年に起きた新型インフルエンザ騒動の時の話が書かれています。これを読んでいると、今年のコロナとほぼ同様のことがすでに11年前に日本国内で起きていた実態を振り返ることが出来ます。当時テレビで彼女は厚労省の「医系技官」は実は患者さんを診療したことがない実態を話していました。この本で当時の情勢を振り返りつつ再確認していたところです。


この本を読みつつ、田村厚労大臣があさっての方向にフェイスシールドをつけて記者会見していた写真を知りました。我が国の防疫をつかさどるトップの人物の公式の場の姿です。


良く解釈すれば実は「マスクは意味ないからね」「コロナはもうたいして怖がらなくていいんだよ」ってことを、あからさまいうとバッシングされちゃうから、別の表現でこそっと笑いを誘いつつ導いてくれているのだとしたら・・・。かなりの策士かもしれないですよね。


だって舛添元厚労大臣の頃は、防護服でうろうろ空港の検疫所を歩く検査官の姿をテレビが繰り返し繰り返し放送しては、新型インフルエンザの怖さを煽りまくっていたんですから。



https://i.imgur.com/KXeqWAq.jpg







2020/10/08 10:56:41

努力でダメな時は遺伝ってことにして逃げちゃえ

明け方は寒くなるとの天気予報でしたので、昨夜は厚手の布団を押入れから引っ張り出して寝ました。秋らしい雰囲気が日ごとに増しています。しかも今日は強い雨。これから週末にかけて台風が来る空模様です。こんな時は気分が下がり気味で哲学者気どりになんだかんだ考え始めてしまいます。


大抵の人がこれまでの人生を過ごすうちのなんらかの場面で、誰かときっと「努力か才能かー」。「遺伝か環境かー」。みたいな話をした経験は1度ならずお持ちだろうと存じます。少なくともブログ主は相手を変えてこのお題を論じたことが複数回、経験があります。私はこの手の話がけっこう好きなんです。


私の持論は以前から「才能」「遺伝」の方を重んじる考え方でした。努力至上主義くそくらえ、とまでは言いませんが、ほとほどにしておかないと、人によっては精神が壊れちゃうから要注意な考え方じゃないかな、という立場です。


だってさ。自分を見つめたら、努力は限界があるなってとっくに気づいていますもの。具体的に書きますと、運動音痴、歌下手、その他もろもろ、体を使う項目を1つずつあげつらい他者と比較してみますと、どう考えましても自分が劣っている現実を認識せざるを得ませんもの。ですからいつからか、努力に限界があるものだと割り切っています。


仮に死ぬほど努力したところで羽生結弦選手やイチローのように超一流の選手になんて誰もがなれる訳がありません。聖子ちゃんやジュリーみたいにカッコよく歌えるはずもありません。藤井聡太氏みたいに将棋が強くなれるはずはありません。もともと才能がある人が、他の人以上に嬉々として練習と努力を積み重ねたからこそ到達することが出来る高みなんだろうな。と。


ただ何もしなければ、才能の存在にすら気づかないし、訓練、辛抱、練習の積み重ね無くして才能の開花は得られるはずもない。超一流にならないまでもまあまあのラインまでは近づけるのだろうから、要は総合的にいろいろやってのことなんだろうな。というのが今の考え方です。


ところが、よく、巷に発生する種族がいますよね。頑張りが足りないからダメなんだ。とかいうポジティブシンキングをすればなんでも良くなるみたいな人達・・・。それと日本で「リベラル」と称させる人達の、親子間の遺伝的要素を完全無視して、子供は環境さえ整えてあげれば劇的にいろいろなことがレベルアップできる、親がどうだろうと子供は環境次第でものすごい人になれるという夢のような話・・・。


内心では、蛙の子は蛙でしょ。みにくいアヒルの子の遺伝子はもともと白鳥だったからであって、アヒルの遺伝子の卵だったならアヒルになったはずでしょ。と思っている人達の話が出てこないのはきっと日本社会ではタブー視されてしまっているからなんでしょうかね。


勉強の秋、スポーツの秋・・・・。今年は中国共産党隠蔽ウイルスのせいで例年と比較してこの手の脅迫されたように何かに頑張って前向きに成果を出すような目標案件に取り組まないといけない空気感は薄くなっているのかな。それとも家に居て時間はたっぷりあるんだから、もっと〇〇が出来るようになっていて当たり前なのに、なんであなたはそのレベルしか到達していないのかっ、と執拗に叱られてしまったりしているのかな。


けっこう自分なりには頑張ったんだけど、努力の成果が思わしくないあなた、そんな時はブログ主のように遺伝のせいだ、自分の努力には限界があるからこの辺の出来で、そろそろ勘弁してくださいな、と割り切る考え方を知れば楽になれるかもしれないですよ。精神壊れちゃうまで頑張るくらいなら、逃げるは恥だが役に立つこともあるってね。そういえばあのドラマ、面白かったな(笑)。







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