おっぴさん
ご先祖様の話を某氏としていた時に「何それ?」と言われてこっちこそ何それだよ、とちょっとばかりムッとした出来事がありました。この時の話相手は東北ではない他地域の出身者ですが仙台暮らしは数十年間に及ぶ人でした。
自分が話しをした相手がたまたま自分の話す単語、用語をちゃんと理解出来ていないような場面に遭遇することはどなたにも経験があるかと存じます。そんな時に他の人たちがどのような気持ちになりどう対応していらっしゃるのかは分かりません。
自分の場合ですと、自分の無知や教養の乏しさは完全に棚上げしてこの世には語彙を少なくしか知らないまま人生を終える人が一定数いるのだから仕方あるまいと割り切ることがしばしばあります。
更に語彙って漢字を読めないし意味を知らない人も結構居るんだろうなあ、みたいな、もはや会話内容を無視してしまい、どうでもいい範囲にまで妄想を広げることで自己満足度を高めに高め、自己肯定感を保つことに余念なくなりそうな悪癖まで持ち合わせております。
そしてその次の段階になると他者を下げて見る心の卑しさ、自分の至らなさを反省し始め、そうこうするうちに自己嫌悪に陥り、結果的には肯定気分と否定気分が均され・・・。表面的にはただの日常に戻っていたという無限ループの繰り返しで数十年の人生が経過しています。
目の前のこの人はきっと語彙を乏しくしたままで言語の習練もせずに人生を終える側の一人なのであろう・・・。などと厭味ったらしい上から目線でふむふむと看過して差し上げる、いつものマウント取り段階で我が人生でも数少ない経験がついにもたらされてしまう結果になるだろうとは、その時は想像だにしていませんでした。
話を戻しましょう。
それはブログ主の母の父親の父親についての思い出話の中での出来事でした。「おっぴさんの〇〇じんつぁんがね・・・」と私が述べたところ「おっぴさんって何?」というのです。
おいおい。からかうにもほどがあるよ。何気取ってんだよ。分かり切ったことをいちいち説明させんなよ、ということで「おっぴさんはおっぴさんだっちゃ!!」と切り返しいところでしたが、少し間をおいて「だっちゃ」ではもしかしたらますますこじれるだろうから「おっぴさんはおっぴさんでしょ」などと。発声をモロだし石巻弁から都会風の仙台弁に修正し、更に「だっちゃ」と「だいっちゃ」をキリッと敢えて封印した上で、標準語風に反論してみました。
すると、某氏。? わからないという反応です。本当に知らないらしい・・・。
おじいちゃんの父親を、じゃあなんて呼ぶんだよ、とこちらが質問したら「ひいおじいちゃんとかじゃない?」とかいう気どりに入った答。
納得できない私はすぐさまパソコンに向かい Google先生に問いました。
すると・・・。
おっぴさん
宮城県の方言 !!!!!
ショック過ぎる。じゃあ、あと、47都道府県の46都道府県の皆さんはなんておっぴさんのことを表現しているんだよっ(´;ω;`)。いや、なんと呼ぶのかの答をもう相手は既に話していたはずなのだけれど、そんな事はすっかり吹っ飛び頭真っ白状態です。
得意の日本語、単語の知識で完膚なきまでマウントを取れなかった経験、この分野での徹底的な負けに対する耐性なんてほぼ持ち合わせていない私は奈落の底に落ちた自己嫌悪からどうやって精神の平静、均せるまでに必要な自己肯定感を得たらいいのでしょう・・・。
で、数日後、宮城県民間での話のネタにしてみたらかなりウケました。良かった!! みなさんもおっぴさんは標準語だと信じて微塵も疑いを持っていませんでした。おかげ様で平常心にしっかり戻ることが出来ています。
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