2021/04/29 19:22:42

よしこちゃいの鰹節

本日は4月29日。私の中では天皇誕生日だとしっくり来ますが、今なら昭和の日と言わないといけないのでしょう。昭和の時代が長かったせいで、私の中で天皇陛下というと昭和天皇のお姿が一番しっくり来ます。ごめんなさい。上皇陛下(´;ω;`)。天皇陛下(´;ω;`)。


せっかく昭和を懐かしむためのおめでたい日ですので、昭和関連話でも。昭和と言えば家電の三種の神器がありましたよね。テレビ、冷蔵庫、洗濯機のことです。


さて。時代は令和3年。このうち未だに3つとも家庭に鎮座していますが一つ若者の部屋から無くなりつつあるものがありますよね。そう。テレビです。20歳以下の若者は今時時間に縛られるテレビなんか視聴していないらしいですよね。インターネットの動画サイトなどに忙しくてコマーシャルだらけのものは面倒らしいです。


昭和時代はコマーシャルが花盛りでした。かっぱえびせんのコマーシャル「やめられないとまらない」を知っている世代はどの年齢層なんでしょうかね。


今まで生活時間のかなりの部分を占めていたため、テレビ視聴は止められないと信じていた時期がありました。テレビを持っていない知人がいましたが、どうやってニュースとかの話題に同調できるんだろうと訝ったりしてね。紀子様がご婚約中にご実家にテレビが無いとかいう噂があったやに記憶しています。だから浮世離れした雰囲気なのかなあとそれはそれで妙に納得したものでした。


我が家のことについて何度か書いていますが、そう。我が家は只今絶賛テレビ離れ実験継続中なんです。テレビの電源を抜いて数カ月経過しています。あらまあ。まったく問題無しです。それどころか絶好調。気分爽快。なんて清々しい。皆さまにしつこくお勧めしないとバチが当たりそうなのでしつこく述べさせていただいております。


どうやらテレビに関しては止められる、止められる。であることが実証実験されました。かっぱえびせんについてはどうかと申しますと・・・。しばらく食べた記憶がありません。スナック菓子自体あまり縁がなくて。


えびせんには無関係なのですが拙ブログ主は袋菓子はなるべくはまらないように注意しているんです。学生寮の同室だった女の子がポテトチップス依存症になり大変な目に遭った実話を今からかれこれ40年ほど前に聞きました。病院に通って治したと。へえってかなり驚きました。


それと今でこそあの人、もしかしたら「ペットボトル症候群」だったんじゃないのかなと推理できるのですが、缶コーヒーガブ飲みすぎさんが知人にいました。同業他社の、当時20代だった男性です。缶コーヒーを一日に1箱近く飲んでしまうんだ・・・。と困った風に世間話をしていました。彼の営業車には本当に缶コーヒーが箱買いしてありました。缶コーヒーってただではないから、出費が大変そうだな。なんてその直後は病気の方じゃない方に頭が行きまして、そのしばらく後に、あれって異常じゃないかな。なんてね。他人事ってこんな程度の認識でスルーしゃうものです。


だけど心のどこかで引っかかってはいたんですよ。昭和末期の当時の私は10代、20代前半。寮の女の子のポテトチップスの話と数年後の缶コーヒーの話が何となく共通点ありそうに思えて気になって。それから数年後なのか数カ月後なのかは定かではありませんが、どちらも病気として社会に知られるところになりました。缶コーヒーにそんなにたくさんお砂糖が入っていただなんて超びっくりしたりしてね。


私自身の昭和の生活は古風そのものでした。周囲に私の実家のような暮らし方をしている家は少なかったと思います。実家は祖母が食べ物に厳しい人でしたので母はとにかく大変でした。インスタント食品が禁止されていたんです。だしはいちいち煮干しや鰹節を煮だし、インスタントは絶対にバレるのでご法度。大変な家事なので家族は必然的に母を手伝わないと成り立ちません。


私は家族の中で一番のおチビちゃんでしたからやらせてもらえることは端役ばかり。味付けをしたり、お鍋の中のものをかき混ぜたり盛り付けしたりの御料理らしい作業は姉たちがいましたから最年少の私にはそんなカッコいいことはさせては貰えないんです。


だけど役割はあって、鰹節を削る係をお手伝いさせてもらえていました。


例の木箱、懐かしいです。料理開始直前に鰹節を削ったものでないと祖母に許して貰えず、作り置きなんてあり得ませんでした。私はあの作業をさせてもらえるのがすごく誇らしらしかったなあ。お浸しにかける鰹節も花かつおのビニール袋に入った鰹パック利用が許されたのはだいぶ後になってからのこと。


私にも家族のお料理を手伝える一員としていられる、端役だけど端役なりの居場所があって顔はふくれっ面して、また手伝うのーっ。みたいな面倒そうにするくせに、シャカシャカ手の中で動かす度に鰹節が小さくなって歯の下に柔らかいアレが溜まっていく達成感を喜んでいました。


実家の鰹節はいつも同じ場所で製造されたものでした。女川のよしこちゃんの家で作った鰹節です。そう。私とおなじ名前の人。親戚です。苗字も知らないし、どこだったのかも知りません。ただ、女川のよしこちゃいとだけ。ちなみに「ちゃい」とは「〇〇ちゃんの家」の方言です。


祖母と暮らしてる間はずっと古風な暮らしでした。今振り返りますといかに贅沢な自然食品を毎食食べていたことかと懐かしいです。


そうだ!!今思い出したんだけど、実家でのテレビ視聴は子供は夜8時、段階を経て9時、10時までと厳格に決められ茶の間から追い出されていました。決められた時間以後は必ず就寝または自室にいるよう育てられました。姉たちは深夜まで勉強をしていてはその度に母に叱られて泣いていました。姉たち曰く、なんで勉強すると親に叱られるんだって(笑)。


だから当時人気だった「時間ですよ」を観られないため学校の友達とは話が合いませんでした。10時まで許可が出たのは何歳だったかは記憶にございません。






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