放蕩息子のたとえ話
先日の左藤滋光先生の講話は『放蕩息子の譬え話(ほうとうむすこのたとえばなし)』でした。
左藤滋光先生は、法華経の『長者窮子の譬え話(ちょうじゃぐうじのたとえばなし)』からお話下さったのですが、新約聖書にもよく似た話があることを知りました。
『長者窮子の譬え話』は、幼い時に家出をした息子は、父のことを忘れて貧しい暮らしに慣れていて、自分の家さえもわかりません。息子を見つけた大富豪の父は、立派な屋敷や、自分を見たら、息子が逃げ出すかも知れないと考えました。。そこで、息子として迎えるのではなく、トイレ掃除から丁稚奉公させて、やがて資産を委ねるまでになってから、臨終の時に最後に息子であると伝え一切の財産を相続させました。
新約聖書の方は、ある人に息子が二人いました。弟が財産を半分くださいと父に言いました。父は、二人に財産を分け与えました。すると弟は遠い国に旅立って、湯水の如く財産を散財しました。すっかり財産を使い果たしたところに飢饉が来ました。父のところにはパンがあり余っているので、父のところに帰りました。父親は、息子を見つけるとだきしめました。そして、息子に服と靴を用意して祝宴を始めました。
いずれも親の子供への無償の愛を表したものですが、これは、神様、仏様の愛の譬え話しです。
私の場合、普段行けない、遠方の神社やお寺にお参りした時には、お願い事をほとんどしません。無事にお参りできた事へのお礼を言っています。その理由は、なかなか『お礼参り』が出来ないからです。神様や仏様もお礼を言われたほうが嬉しいんではないかなって思っています・・・
現実には、親からの虐待で命を落とす子供や、親の愛情を受けられずに成長された方もおられます。本当に悲しいことです・・・
『願わくは、つきることのない光明が私や家族の分け隔てなく全てに及び悩める人々も救われゆかんことを 十方三世一切の諸仏 諸尊菩薩摩訶薩 摩訶般若波羅蜜』左藤滋光先生に教えて頂いた言葉です・・・
今日も『感謝』を忘れず『自利利他』の精神で!!
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