「水の事故」は、運命か?
毎年、海・川・湖で痛ましい水の事故が起こります。
つい先日、息子と友人達が「吉野川」へ泳ぎに行くということで、小学生時代から毎年、吉野の田舎に1ヶ月ほど滞留してきて、「吉野川の水の冷たさ」を十分に知っている私として、祈るしかありませんでした。
20才を過ぎて「危険だから行くな」とは言えない。
そして、行ってしまえば、「準備体操をしっかりしなさい」とか「ビールを飲んで泳いではいけない」「飛び込んだらダメ」という私の声は届きませんから、若い無鉄砲盛りが何をしているのか分かりません。
きっと、一つ間違えば命に関わるような事をしているのでしょう。
結局の所、その日の体調とか、飛び込んだ場所とか、何らかの要因によって、毎年「誰か」が亡くなってしまう。
「運命」と片づけるのは簡単ですが、家族や親御さんの気持ちを考えると、とてもその一言で済ますわけには行きません。
川遊びもそうですが、数日前「免許は持っているが、2年前に取得してから数回しか運転していない」息子が、片道200キロの行程で、これまた友人達と福井の海に泳ぎに行きました。
前日、家内を乗せて30分ほど練習したようですが、「家族限定」の保険にしか入っていないので、友人に運転させる訳には行かない。
長い行程を、水泳で疲れた体で、しかも一人で運転するしかない。
これまた、事故を起こしても全く不思議ではない。
車ぐらいぶつけてもどうということはありませんが、同年代の男の子4人の命を乗せているのですから、責任の重さは大変なものです。
しかし、「電車で行け」とは言えない。
男の子ですから、自動車の運転ぐらいできないと勤まらない。
今後の家庭生活でも、仕事でも運転する場面は出てくるでしょう。
いきなりの遠距離運転は、確かに無謀ですけれど、ろくろく運転していないのですから、近距離も遠距離もない。
けれども、運転しないことには上手くならない。
「命の重さ」とのジレンマで内心悶々とするばかりで、無事帰ってきてくれた時には、本当にホッとしました。
けれども、同じような福井の海で海難にあった方もおられるでしょうし、同じ日に交通事故に遭われた方もいらっしゃるでしょう。
それは「運命」なのか?
対向車線からはみ出してきた大型トラックにぶつけられる確率は、それこそ天文学的な分母でしょうから、「運命」というしかないでしょう。
ひたすら「幸運」を祈るばかりです。
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