日本流の偽善とバカの話
被災地に元気を!
とかなんとか言いながら、福島産の農産物を買わないのは、一般市民レベルでは、ある程度仕方ないことでしょう。
義援金を送りながら、物産を購入しないのは、まあ「偽善」ではある。
「放射能」と聞いて、「よし、この際放射能のことを調べてみよう」とか「勉強してみよう」という人、周りにはいないし、TV番組は表面的すぎて、実は何にも分からないか、間違った理解を深めるだけになる。
個人レベルでは、仕方ないというのは、「他人や団体に強制してくれるな」ということでもあります。
「放射能がくる!」と言って、ガレキの受け入れに、役所に電話まで掛けて反対する人が、何人もおられる。
「検査で安全性が確保されている」と証明されても、反対する。
要は「バカ」なのでしょう。
放射能=危険という理解は(値にもよるが)、否定できないでしょうけれど、検査で問題ないと言っているのに、それが分からない。
口に入るものならば、心理的な要素もあるでしょうから、「大丈夫」と言われても、気になる人もおられるでしょう。
ですが、ことはガレキです。
しかも別に、自分の家の近くに持ってくるワケでもないし、持ってきたところで、何の害もない。
この手のバカが多いことには、本当に驚きを禁じ得ないですね。
世の中「番組が気に入らない」から、TV局に文句を言い、抗議する。
いやなら見なければ済む話だと私は思う。
チャンネルを変えるか、本でも読めばよいだけのことです。
それを「自分が気に入らないから、あの番組をやめろ」と、ただで放送を見ている、単なるイチ視聴者が「やめろ」と言うのは、普通ではない気がします。
こういうごくごく少数の手合いが、TV局はまだしも、都府県や市町村に的外れで短絡的な文句を言ったからと言って、言うことを聞く方も聞く方ですね。
数十万の市民がいるとして、1千件の苦情があったとしても、1パーセント未満である上に、大抵の場合一人で何回も苦情を言ってくる。
少数意見の尊重は、民主主義を習うときに誰でも教えられますが、数えるほどのバカが文句を言ったからといって、何でもかんでもストップする神経を疑う。
天神橋筋商店街では、アーケード下に放送を流しています。
スピーカーの配置もありますから、担当者が何カ所かで確認して「これでいいだろう」という音量に設定している。
それでも、「音が大きい」「音が小さい」という苦情は出てくる。
「音が大きい」と言われて小さくし、「音が小さい」と言われて大きくする。
こういうバカなことはしていませんね。
当然、チェックはしますが、問題なければそのまま続行します。
それが商店街組合に限らず、民間の運営というものでしょう。
音量に限らず、売り出しや事業でも、賛成もあれば反対もある。
全員一致が難しいからこそ、多数決があり、リーダーシップが要る。
なのに、「苦情があったからやめる」
全く、楽で良いですね。 やらないのが一番楽ですかた。
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