猫の「たたり」
昔から、「猫を殺せばたたられる」と言われますが、そんなこと言われなくても、猫を殺してやろうなんて人、まずいない。
自分の子どもを殺そうという母親も、まずいない。
つまり、悲しいけれど、もごく希な確率で存在するということですね。
普通の神経をしていたら、そんなことはできるはずがない。
その「普通の神経」でないか、「なくなった」方が存在する。
誰もが一定の能力や道徳心を持っていると考えるには、無理がありすぎる。
義務教育などで、同じように学校に通って、授業を受けて、塾に行く行かないなどわずかな差があっても、100点の子もいれば0点の子もいる。
それが、小中高と上がっていったら、差が開くばかりでしょう。
まぁ、たかが勉強ですけれど。
勉強だと点が付けやすいが、道徳心や社会性は点数化が難しい。
とはいえ、勉強と同じように、社会規範を守れる人と反社会的な人は存在するし、小中高、そして社会人になったら、その差は先の勉強の例を引くまでもなく、開く一方ということになっても、不思議ではない。
世の中、殺人犯は一定数必ず存在するし、これから画期的な教育方法が確立し、実行できたとしても、数は減りこそすれ、なくなることはない。
それが、人間社会というものでしょう。
「ミミズにおしっこをかけたら、おちんちんが腫れる」と言われた。
要するに、力なきモノ・小さきモノ・弱きモノをいじめるなという事ですね。
ストレスが溜まって、組事務所へカチコミに行く人など、いない。
反撃しないもの、弱きものに向かう。
大切な人の危機であれば、相手が強きものでも立ち向かうでしょうが、不機嫌や憂さ晴らしで勝てそうもない相手に向かって行く人などいない。
全く、「猫のたたり」でも受けたら良いのに、、、と思いますね。
現世でなくても、来世で必ず罰せられる。
そんなチカラって、働かないもんでしょうか?
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