一昨日見た「夢」の話
私の店は、天神橋筋商店街に面した「店舗付き住宅」なのですが、実際には1Fをお店に使っているだけ。
なので、2階3階に上がるのは年に数回のこと。
2階になぜ居るのか?分からないが、「ドコッ!バコッ!」という大きな音が何度も聞こえて、揺れさえ感じた。
何事か?と窓を開けて見ると、車の通ることがない商店街に何台ものバスが接触しているばかりか、次々と出てくる。
商店街路面の真ん中に3m四方ほどの穴があって、そこから次々と大型バスが走り出てきては、止まっているバスにぶつかって、前へ前へと押されている。
「シャッターが潰れる!!」と、階段を駆け下りている所で、夢から醒めた。
この夢とは別に、小学生の時に見た夢を今でも覚えている。
元寇のような場面で、大きな船の舳先に立てられた木柱に、誰かが縛り付けられていて、首だけがフラフラと左右に動く。
そして、何隻もの戦闘戦が対面するようにやってきて、放たれた何本もの矢が、へさきにくくりつけられている人に、次々刺さっていくという夢。
なぜか、大きな船にはくくりつけられている人しか居ないし、戦闘戦から矢が雨あられと飛んでくるのに、不思議に人影がない。
何だったんだろうなあ?と思う。
当時、歯科医院やそろばん学校には、待合時間用にマンガが置いてあった。
私が通っていた歯医者さんには、怪奇物や復習物のブラックなマンガが(ドクターの趣味なのか?)置いてあって、戦国時代に捕虜ととなり復習合戦の挙げ句、両手両足をなくし、家臣が押す台車に乗って、口に刀を加えて、相手陣に突進していくというシーンがあったが、まぁグロなお話しではある。
たかが「夢」されど「夢」。
同じ見るなら、気持ちの良い夢を見たいものだ。
挨拶で「原稿」を読む人、、、
世の中「総会シーズン」ですね?
私も主催者として、挨拶をしますが、他団体の総会へ出向くと、主催者や来賓を問わず「挨拶で原稿を読む人」が、結構おられます。
私ですか?
読みません。
たかだか数分の事ですし、自分が考えた内容ですからね。
それと、原稿を読むと失敗することが多いです。
1,途中で、どこまで読んだか分からなくなってパニクる。
2,直前に挨拶した人と内容が被るけれど、そのまま読む。
3,そもそも自分が書いたものではないと、思われる。
などなどでしょうか?
単純に「書いたものを読む」のは、格好悪いと思いますね。
とはいえ、絶対に書かないか?というと、そうでもありません。
「演台」がある場合は、芯になる話のテーマをいくつか書いておく。
話すときは、それに肉付けするのみですね。
決して「棒読み」はしない。
原稿を読まないメリットは
1,あくまでも自分の言葉で話せる。
2,予定の話を飛ばしても、誰も分からない。
3,より真剣に、挨拶の内容を考える。
などでしょう。
中高年になってくると、記憶力を鍛えることも大切です。
通常、職場の外で数十人以上の規模の前でお話しする機会に恵まれることなど、ほとんどないのが普通でしょう。
そのチャンスを最大限活かすためにも、挨拶は手ぶらがお勧めです。
人は「見た目」が100%
地域社会や各種団体に所属していると、能力に秀でた人や頑張り屋さんが多いのですが、その中でも「美人」は光りますね。
他の条件が同等であれば、キレイな人に気持ちが向くものでしょう。
不動産業は、基本接客業で初対面の人が多い。
私の場合は、せいぜい「見た目30点」が良い所です。
なので、可能な限り「清潔感」と「多少の高級感」が出るような衣類を身につけるようにしていますし、お陰様である程度身長に恵まれているので、お腹がポッコリにならないように、体重を管理して男らしい体型を維持するために、ウエイトトレーニングなどをしています。
「特に何もせずそのまま」だったら、永遠に30点なので。
とにもかくにも、「入口の時点」では、見た目がモノを言う。
それから後は、会話の内容や常識度、価値観、マナーになるのでしょう。
いい年をして、「阪神勝った!」「馬取った!」では仕方ない。
高い買い物自慢もみっともない。
誰もが目にする、ネットの知識も寂しいものです。
なので、以後付きあうかどうか?は、見た目以外の部分に関わる。
が、最初は「見た目」でしょう。
奇麗な人は、見ているだけで気分が良い。
http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2017/0516/804385.htm?from=ytop_navl&seq=01
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