だから、いっつも「金」がない、、、
昨日は、三泊四日で実家や娘宅のお手伝いに勤しんできた家内を、ふぐ刺し(てっさよりも分厚い)やウナギの白焼きなんかで、慰労しました。
ええもん、食ってるなぁ、、、と、思われますか?
私の毎日は、朝食と昼食の合計額が、おおよそ340円。
自分でラーメン作れば、チャーチューやカイワレを入れても150円。
会社員のワンコインランチなどより、よっぽど安価です。
周りで家賃が遅れる人とかは、週に2回ほど1回2千円・3千円で飲みに行くから、ふぐやウナギを月に一度食べに行く2倍も3倍もの支出ですね。
結構豪勢なランチや女子会をされていると、差はもっと大きい。
安い賃貸住宅に親子数人で暮らしているのに、小学校から「私学」に入れる。
要するに「身の丈に全く合わない生活をしている」から、金がない。
金がないのは悪いことではありません。
実際、私もお金がありませんから。
とはいえ、金がないのに、背伸びした生活をするのは「悪」だと思う。
同じような所得で同じような家族構成なのに、一方はその日暮らしで、もう一方は預貯金が結構あるというのは、ごくごく普通のことです。
結局「いくら稼いだか?」ではなくて、「どのように使ったか?」
それが問題ですね。
「いくら使ったか」も、範疇に入るでしょう。
お金を使わなことには生きていけませんが、どうにもこうにも「貯められな」人々が、数多く存在することもまた、事実です。
私の場合は、収入が少ないことを自覚しているので、それなりの消費行動になりますが、Aという分野では節約してBの分野では人並に支出し、総額で可処分所得の中に必ず納まるようにしています。
可処分所得とは、総所得から「使ってはいけない金額」を控除した額。
可処分所得を「総所得」だと思うと、いずれ破綻が来る。
預貯金などに回す分は、必ず最初によけておかないといけませんね。
総所得を「可処分所得」と勘違いして、全部使ったり足が出るから金がない。
どちらの帽子が「防犯らしい」でしょう?
昨夜は、今年最後の歳末防犯パトロールでした。
10人が一組になって、毎年「店舗のあることろ優先」とか「暗い裏通り優先」などのルートを決めて、ライトや誘導棒、それに拡声器を携え、約1時間のパトロールを行います。
今年は、防犯協会から、新しい帽子が支給されました。
さて、どちらが「防犯らしい」でしょうか?
左が新バージョンなのですが、右の方が古臭いけれども「警察感」あります。
昔の機動隊とかがかぶっていたようなの。
暮れも29日ともなれば、まぁ浦天満界隈には「若い人」しかいません。
多くが、前日に仕事納めをしていますから、帰って新年の準備に忙しい。
ワンルームで暮らす学生さんとか、親御さんと同居で、年末と言っても、たいしてやることがない若者ばかりが飲みに出かける。
若者が多く、なおかつ人数が多いと、それなりにトラブルも発生しますが、今年は全くそういうこともありませんでした(例年ほぼないですが)
パトロールでは、常日頃歩かない通りを進むので、暗がりでも新しい発見がありますね。
池田町方面では、「なに屋さんか、分からない」ような、汚い店主一人でやっているお店(お昼はラーメンらしい)が満席で、小ぎれいで清潔な造りのお店は閑古鳥とか、よくわからない事態が発生しています。
私のように「還暦越え」だと、「ただただ安い店」からは足が遠のきますが、若い人はそれでいいでしょう。
歳末パトロール再開
コロナで凍結されていた「歳末パトロール」が、今年は再開。
制服制帽で、順路に従ってパトロールしていくのですけれど「火の用心」とかの掛け声もやっています。
防犯委員だけのパトロールになったのですが、以前は永らく、各町会の「詰め所」で奥様方が、それぞれの町会独自の夜食メニュー(湯豆腐・トン汁・バッテラなど)を振舞ってくださってましたが、負担が大きすぎますね。
皆さん、自宅での用事もたくさん。
わざわざ年末の数日を、それも夜遅く出てきて貰うのは気の毒でしょう。
で、ほとんどの町会が「詰め所での振る舞い」を取りやめました。
元々歳末の防犯パトロールは「トラブルには介入しない」ように警察から求められているわけで、何かあったら「通報してくれ」ということ。
防犯委員というと、屈強な壮年のイメージがあるかもしれませんけれど、現実は、そんなのは数人しかおらず、ほとんどが小柄な高齢者です。
トラブルに介入したら、病院で新年を迎えることになりますね。
地域の有志が、地域を見守るということで十分なのではないでしょうか?
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