毎月「1日」は、お参りの日
「お参り」とは言っても、出かける訳ではありません。
自宅に、母方祖母と父方祖父母の遺影を置いてあるので、合掌する。
家内は毎日「お水」を取り換えるので、私は毎月1日の出勤前に手を合わす。
仏壇も神棚もないけれど、気は心ですね。
成人して家庭を持つようになった二人の子供達にも、幼少の頃からお参りをさせていたし、今暮らせるのは「おじいちゃん、おばあちゃんのお蔭」と小さい頃から言わせていたので、それなりに感謝の心は育っているようです。
実際、仕事がヒマとはいえ、そしてろくに年金を貰える予定もないとはいえ、別段老後の心配をするほどでもないのは、父母・祖父母のお蔭です。
元々は、共同炊事場・共同トイレの長屋に住んでいた祖父母が、必死に働いて基盤を作ってくれたからこそ、普通に暮らしていける。
結構、心理的に大きいですね。
楽に暮らせる訳ではないけれど、焦る必要は全くないし心配もない。
事件・事故に健康のこともあるので、将来のことなど誰にも分からないが、まぁまぁ普通に暮らしている限り、食べるのに困るとは思えない。
自分で創業し、1代で手広い商売をしておられる立派な方も沢山おられますが、大抵の場合は、親の後を継いだり、親の資金援助でやってきている。
私は自分の代で不動産業を始めたのですけれど、それでも現在の店舗も住居も、結構親のお世話になっているのは認めないといけません。
という訳で、世の中「感謝する対象」は多いのですが、父母・祖父母には一番感謝しないといけません。
ご先祖様については、祖父母より上の世代を知らない。
血脈という点では、ご先祖様も敬うべきなのでしょうけれど、ただただ世代交代したというより、極貧から脱出してくれた祖父母を尊敬しますね。
現実問題、時代は違うが、奉公人・使用人・長屋暮らしから自分のお店を持てるようになるには、相当な我慢と苦労があったでしょうから。
コメントを投稿する
投稿したコメントは管理者が承認するまで公開されません。
その他ご利用上の注意点はこちらをご参照下さい。
お問い合せ