幸福の頂点は、いつですか?
こう景気が悪いと、商店街でもトラブルが増えてくる。
幸福の度合いが強い人は、不平不満を言うことが少ないし、府嘔吐までは行かなくても、イヤなこと・つらいことが多い人ほど、いらだったり、不機嫌だったりするのは、その人の成熟度にもよりますが、ある程度は仕方のないことでしょう。
で、「幸福の頂点」ですが、
結婚式などで「今がお二人の幸福の頂点、、、、」などと言う人は、ご自身の人生がそうだっただけであって、他人様に当てはめてはいけないと、私は思う。
少なくとも、私の「幸福の頂点」は、まだ来ていないようですね。
とはいえ、過去ずーっと幸せでした。
思い返して、一番幸せだったのは、「高校3年生」の時ですね。
中学時代からずーっと剣道部の主将をしてきて、クラブ活動に打ち込んでいた私ですから、部活を引退して、「さあ受験勉強」となった時に、既に回りとの大きな遅れに気が付いた。
それで、平日は7時間、お休みには13時間勉強を続け、お正月は元日だけ休んだ覚えがあるのですが(それでその程度の大学か?という意見もあるでしょうが、、、、、)それはそれは充実していた。
楽しいことは、言うまでもなく生きていく上で大切ですけれど、「あんまり楽しくない事だけれども、自分のためになる事」を、月単位、年単位でやり続けると、達成感や幸福度が全く違う。
加えて、人並みに家庭を持って、男女の子供に恵まれて、それぞれ真面目に通学していたり、就職している。
そして、皆健康です。
これが「幸福の頂点」とは思いませんが、間違いなく「高い幸福度」では、あるでしょう。
確かに、仕事の方はしんどいですが、これは適法に営業している以上、どこの業者さんでも、あんまり変わらないことでしょう。
中には商売上手で人脈が広く、先が読めるから、この不景気でもびくともしない方もおられるでしょうが、私はそうではない。
「今日一日をやっと生きている」に等しい程度ですね。
だから不幸か?
いえいえ「高い幸福度」だと、私は思う。
ですから毎日機嫌は安定しているし、特段の不満もありません。
前に、「腹が立った時」には、
1,してもらったこと
2,して返したこと
3,迷惑をかけたこと
を数え上げると、腹の虫が治まりやすいと書きました。
そして「無理矢理にでも、(1)と(2)を数え上げる」ことで、自分自身の人的素養が向上するとも思います。
それでは、「幸福度が低い」と感じたら?
人それぞれ、健康状態も違えば、家庭内外を問わず人間関係も違いますから、「幸福と思え」などと無責任な事はいえない。
ただ、現状住む所があって、3食食べられ、挨拶をしたら返してくれる人がいるのであれば、「なぜ自分は幸福度が低いと感じるのか?」を考えてみる価値はあるでしょう。
そして、「回りからしてもらったこと」「して返したこと」「迷惑をかけたこと」と、先ほどの例を応用してみれば、あるいは解決するかもしれない。
このところ、回りに「不幸とは思えない」のにやたらと機嫌が悪い人々が増えているので、そんな事をふと、考えました。
でも、きっとあなたの「幸福の頂点」は、まだ先にあるはずでしょう。
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