あれから50年
昨日苦情処理委員会があり雨の中松山まで出張、梅雨らしくじめじめとした天気、明日もまた雨というが、同業者から以前勤めていた先輩が知り合いだと、50年ぶりに再会し面談をした、ただ雰囲気は当時のままだがいでたちは小生もそうだが当時の面影はなくただただ時の流れの長さを感じて先輩は80歳となったとか、たぶんもう会うこともないだろうが何となく心寂しい思いがこみ上げる、ただ声だけは当時の面影を残していて、30年前に大手住宅メーカーへ知り合いと勤務したのがなれそめだと、昔の写真を眺めると走馬灯のように記憶が流れていく、帰らない過去、どうなるか分からない未来、違う世界になったときこの業界はどうなっているのかそんな中協会から銀行が不動産の仲介業務を解禁するようにと監督官庁へ打診をしたとか??早速本部より反対の要請をして何とか話が進むことはないだろうと、金と情報を握っている銀行がもしそれをやったら全国約20万件の業者は即立ち行かなくなるのは火を見るより明らかだ、コロナに乗じてなんでもありなのか,アーメン、困ったときの神頼みしか我々には対抗できないのか、イワシの頭でも信じてみるか??
瑕疵担保責任から契約不適合責任へ
この条文この要綱、どう思われますか?百害あって一利なし、行政が買主に有利に、売り主に余分な負担を求めるものであって、ましてや都市部の築20年越えの物件ならいざ知らず田舎の廃屋に近い中古住宅にとって、市場の活性化を阻む要件なのでは、見た目もさることながら明らかにリホームをしないと使用できない微小、廃屋同然の建物に契約不適合責任もないだろう?価格もタダ同然、処分価格で提供したものを後で補修義務を請求されるとしたらこんな商売やらないほうが身のため、売主とっては思いもよらない事態では、世の中のこんな状況の中での先生方の高度な判断かもしれないが少子高齢化も含め限界部落の建物の処分を依頼されたら高学齢期の頭でっかちの世間を知らない方たちの過剰判断による条文だと思いますが小生だけでしょうか、全国同業社の意見を聞きたいものです。買取業者にとってはいいかもしれませんが、業者が買取というと楽でしょうが価格は買いたたかれ取り分も少ないのが現実、賢明な先生方はどう思われますか???
小生最近コロナボケなのかな?
非通知着信に思う
チラシ、問い合わせ、確認に携帯電話で非表示の方がおられるも、なんでだろう名前か゛知れたらまずいのだろうか?それとも後追いで追跡電話でもされると思われているのだろう、受ける側はそこらが知りたい、問い合わせがあっても真剣みがなくまた相手が不明なので対応が曖昧な受け答えになる場合も、指名手配でもなければそれほど警戒しなくてもと私は思う、問い合わせも多いほうがいいのだが悪意を感じる場合から自分の物件の価値が知りたいとか相場とか具体的な事案もあるのだが
いずれも年配の女性の方は対応が難しい、都会が景気がいいらしいので値上がりが期待できないか?とか依然買われた良い時代の価格、いわゆる自己中的な思いが多々感じられる、価格査定を依頼された場合最初はあまりズバリ価格を表示できない、もしくはこの段階で断られる場合もありいろいろだ、月1〜2回のチラシ投入も空振りが多いのだが他店から回ってくるいわゆる言葉は悪いが腐り物件がままあるのだ
慈善事業として仕方ないので引き受けているのだがあまり損得勘定からするといただけないが信条として小さなことからコツコツと積み上げるしかない、誰かがやらなくてはと思いがある、いつかは報われるのではと淡い期待をもっていくしかないか?あなたは評価していただけますか?
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