2011/09/26 8:47:54
義経北行伝説と八戸市
八戸市の義経北行伝説
源義経は、壇ノ浦で平家を滅ぼした後、兄の源頼朝に疎まれ、奥州藤原氏のいる平泉へ逃げました。しかし、義経をかわいがってくれた平泉の当主、藤原秀衡(ふじわら ひでひら)が死に、後を継いだ藤原泰衡(ふじわら やすひら)は頼朝を恐れて義経を殺してしまいました。義経を討った泰衡も、結局頼朝に滅ぼされてしまいますが、義経のかわいそうな最期に同情したのか、義経は平泉で殺されたわけではなく、実は泰衡のはからいで北海道へ逃れたのだ!という伝説
源義経は、平泉・高館で自害せず、密かに脱出したと言われている。脱出後、八戸市内に上陸・滞在し、竜飛崎から北海道へ渡り、樺太、モンゴルへと移り、義経は成吉思汗(チンギス・ハーン)になったと言われている。
八戸市内には、義経が立ち寄ったと言われる場所が古くから伝えられており、800年以上経った現在でも、伝説として市民に受け継がれている。
≪八戸市内の経路≫
種差海岸(たねさしかいがん) → 源治囲内(げんじかこいない) → 館越(たてごし) → 高館(たかだて)
此処八戸は義経伝説にまつわる地名が多くまんざらうそではないようです。
八戸市の義経伝説
http://www.city.hachinohe.aomori.jp/kanko/history/yoshitsune/index.html
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