原爆投下を川越で傍受
平成22年8月4日付の朝日新聞(夕刊)記事に「原爆第一報、川越でつかんだ」との主見出しに眼を奪われました。
続いてリードには「通信社の二記者、外国放送傍受、訳して政府へ」とあります。
記事の概要は、終戦直前に広島へ投下された兵器の正体を、トルーマン大統領の原爆投下声明の外国放送を国内で最初に傍受(昭和20年8月7日AM1時半)し、「原子爆弾」と訳して政府に報告したのが、川越で当時活動していた通信社であったと伝えています。
この通信社は同盟通信社(共同通信社や時事通信社の前身)川越分室で、現在の市立博物館の場所にあった川越市立工業学校の教室を借りて活動をしていました。
当時はすべてが極秘のうちに行われたため、このことを知っていたのは警察などごく一部の人だけだったようです。
大本営はしばらくは「新型爆弾」としか発表せず、放射能の脅威が知らされないまま二次被害の拡大につながったと指摘をする専門家もいます。
全国に「原子爆弾」と発表されたのは8月15日朝です。
投下から75年のいま「川越と原爆投下」の不思議な縁を考えるとき、平和の日々が末長く続くこと、併せて新たな脅威「新型コロナウイルス感染症」のより早期の終息を強く祈る昨今です。
猛暑の夏、にぎやかに鳴いていたアブラゼミの亡骸が庭の片隅に。
もう季節は静かに秋へと移り始めています。
参考:(平成22年3月定例市議会 川越市議会会議録検索 石川隆二 原爆で検索) 詳細を記載
博物館の企画展から
新型コロナウイルス感染予防で様々な行事が中止されています。
先般、4月に企画展が計画されていた「川越の地口行灯」の展示図録を手にしました。(川越市立博物館/編集・発行)
神社や地域のお祭りの際に四角い枠に和紙を張り、絵や文字が書かれた行灯が道端に飾られていた様子に思い出はありませんか。
子供のころ、祭りの夜店を目指す道すがらたくさん見かけました。懐かしい風物詩です。
江戸時代から続く地口行灯を飾る風習も最近はめっきり少なくなり、職人さんも減少している状況だそうです。
幸いにも川越には伝統を受け継ぐ方がいらっしゃいます。
手にした図録には珍しい絵や文字が楽しめました。
いつか企画展を再開してほしいと願っています。
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