2020/10/15 11:23:17
権力と実力
菅新政権誕生から一か月。
連日の報道ネタは尽きないようですが、個別の案件についてはコメントは差し控えます。
過日、外務省出身(元大使/元参議院議員)の先輩と久しぶりに懇談をしたときに、話題は国会への初登院での職員の対応の様子でした。
テレビでよく見る初当選組が胸に議員バッジを嬉しそうにつけてもらう、あれです。
議員バッジをつけた瞬間、議員の期数に関係なく接遇状況の差別は感じず(大物、長老は若干違いあり)霞が関ならずどこでも、国会議員としてのそれなりの対応をされたとのことでした。
ところが、国会内で議員バッジをつけずに廊下を通ったときに、あまり接触のない職員とすれ違って顔を合わせても、軽い会釈さえもされないこともあったそうです。
しかし、また議員バッジをつけると、国会内のどこでも、手のひらを反すように丁寧なあいさつや会釈をされたとの体験を話しておりました。
あいさつや会釈の度合い、認識、判断は何だったのか。
きっと胸についたバッジで議員と認識し、あいさつの行動へ。
それは議員バッジという「権力の象徴」に対しものだとつくづく感じたとのことでした。
爾来、バッジという「権力」ではなく、努力と経験、研鑽を重ねて「実力」をつけよう。そう決意をされたとのことでした。
「修羅の命」の傾向性として、強いものには物陰に身を隠し、弱い者には必要以上に居丈高になるとの文研を読んだ記憶があります。
「権」仮の力ではなく、「実」真実の力、そんな対極について思索するきっかけを与えられました。
しかし、現実にはバッジを光らせる議員もまだまだおいでになるようですが(個人的、見解です)
よき先輩は、ありがたい存在です。
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