家計簿に酒場が重なる
今日は朝からアメリカ大リーグのワールドシリーズをTV観戦。
そんな私の脇では妻が今月の家計簿の整理を始めました。
何気なく目にした家計簿にビックリ。酒場のお品書きに負けずとばかりポストイットが貼られています。
支出の項目ごとに色分けもしているようです。
改めて毎日の家計を遣り繰りしてくれている家内に敬服です。
ありがたや、ありがたや。
風に思う
10月31日(月)は内見予定日で天気予報に注意していますが、晴れ予報で一安心。
日頃から天気予報はよく見ますが、特に風に注目しています。
日本人の特性として、よく「風を読む」ことと言われていますが、私の風への興味は人間関係や世情を見ての風ではなく、季節の節目を何気なく教えてくれる、その時に流れる風の「匂い、温度、肌感覚」などです。
肌を刺し突き抜ける冬の風、春を告げる風、梅雨のうっとおしい風、夏の暑さを運ぶ風、初秋のさわや風、初冬の上着一枚をと思わせる風、そして年末の慌ただしく動く景気や、うす寒さを運ぶ風。
風をはじめとする日々の気象は、大なり小なり私たちの生活を左右しているのではないでしょうか。
ふと、そんなことが頭に浮かびました。
一茶の親心
ニュースで元ドリフターズの仲本工事さんの死去が流れています。
TVで夢中に見ていた子どものころが思い起こされました。
この世は、はかない露の世とはよく言われていますが、仲本工事さんの事故死には実感させられます。
俳人の小林一茶は長女の「さと」を天然痘で一歳余で亡くしました。
その時の心情を『露の世は 露の世ながら さりながら』との俳句を詠んでいます。
意味を自分ながら考えると、この世は、はかない露の世と言われているが、そんなことは常識的によく知っている。
しかし、子供を亡くした現実を見たときに、この世のはかなさはよく知っているが、知っていることが何になるのだろうか。
娘を亡くした親として、思うにつけても、只々、悲しくて、悲しくて、たまらない。
そんな気持ちだったのかも?
今日は、静かに故人のご冥福を祈りたいと思います。
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