★今、ここにいる理由★
あなたには、幼いの頃の記憶が残っていることでしょう。
お父さんの大きな背中、お母さんの暖かい手のぬくもり。
白いソファーの上から見る景色は格別です。
リビングのカーペットが敷かれたフィールドは、あなたの世界でした。
しかし、その環境を用意したのは、あなたではありません。
あなたは「お父さん・お母さん」を選ぶことはできませんでした。
それどころか、この世界にあなたが誕生することすら、あなたの選択ではありません。
時が経ち、思春期を迎えると、あなたは親に対して、こんなことを言ったかもしれません。
「私を生んでくれと頼んだ覚えはない、こんなところに生まれてこなければ良かった!」
親にとっては、とてもショックです。
更に、親が慌てて、「私たちは、あなたに会いたかった」なんて言葉を返そうものなら、「それなら、私は親の都合で生まれたのか!」と、やり返されることになります。
確かに、あなたの存在は自分自身で意図したものではなく、強制的に与えられたものであることは事実でしょう。 それは、誰から与えられたのでしょうか?
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★わたしとは何か?★
ここまでのブログの内容を理解された「あなた」なら「あなたが何であるか」を考察する準備ができています。
では、順を追って考えていきましょう。
まず、「意識」のないことを意味する「無意識」を考えてみます。
全ての物質は量子の組み合わせ、あなたの身体も同じです。
よって、当然に物質は「無意識」の状態にあります。
「無意識」である物質は、全ての宇宙の「重ね合わせ」=コヒーレント状態にある。
よって、「無意識」の領域はコヒーレント状態にあると言えます。
4次元時空の中で動的平衡を保つ生命体は、物理法則に従う物理現象の一つに過ぎません。
あなたの身体も常にコヒーレント状態の中で、機械的に作業を行う、純粋な物質です。
そうであれば、身体の生命活動の中でコヒーレンスな量子特性が現れるのは当然です。
また、物質の視座から見る「時間」は、3次元空間と何ら変わる事のない座標系に過ぎず、時間0→∞の全ての時間をいっぺんに総覧しています。
つまり、物質である「あなた」の中の「無意識」は、遥か昔から遠い未来までを、しかも、全てのパターンの宇宙を総覧していることになるのです。
あなたの視座からは、「無意識」の住処は「感覚器官」「第一の脳」「第二の脳」ではありますが、非局在性を有する「無意識」の視座からは自らが限定される場所などないのです。
これに対して、「意識」は神経細胞を持つ生命だけに生じるクオリアであり、物質ではなく、物理現象。
あなたは、この「意識」を通じてのみ、初めて世界を感覚することができます。
但し、世界を直接的に感覚するのは「無意識」の領域であり、「意識」は「無意識」の情報の一部から「脳内世界モデル」を構築し、その世界を感覚しています。
また、「意識」は、一つのパターンの宇宙の一つの時間と場所しか感覚できないシステムであるため、「意識」の視座から見る世界は常にデコヒーレンスな世界となるのでした。
この「意識」の住処も、あなたの視座からは「第三の脳」ではありますが、「あなた」という主体を持たない「意識」の視座からは「脳内世界モデル」が世界の全てであり、その中において自らが限定される場所などありません。
そして、「脳内世界モデル」にある過去から現在に至る「意識」の情報を総覧する時の連続的感覚が「自我」でした。 この「自我」に至って、あなたは、その小さな身体の中に納まっている「あなた自身」を見つけ出すことになります。
ここで「無意識」「意識」「自我」をDVDを例にして考えてみましょう。
ここに、「宇宙の全ての情報」が記録されたDVDがあります。
あなたは、DVDの内容をディスプレイ上の映像として見ることができます。
この時のDVDが「無意識」に相当します。
ディスプレイに映し出された映像が「意識」です。
その映像を見ている「あなた」が「自我」に相当します。
このDVDの中には、この世界の全てが「動きのない情報」として詰まっているわけですが、ディスプレイに流れる映像は、その一瞬一瞬の画像を切り取ることしかできません。
そして、その一瞬一瞬の画像を連続的に見ることによって、あなたはDVDの内容を「動きのある動画」として認識することができるのです。
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★「自我」とは何か?★
「わたしとは誰なのか?」
この問いに対する最もシンプルな答えが、今回取り上げる「自我」です。
辞書を開くと、「自我」は一般的に「自己」や「自分」のこととされています。
また、哲学においては「天地一切のものに対する自分」や「エゴ」などと表現されます。
更に心理学では、「自分自身に対する、各個人の意識・観念」と言われます。
要するに、いま、あなたが思う「自分」のことです。
では、その「自分」とは何でしょうか?
そもそも「自我」を定義するにあたり、類義語である「自分」という言葉を使用すると説明が循環してしまいます。
上記の定義は「自我」の特質を述べているだけのようです。
このブログでは「自我」を次のように定義します。
「自我」とは、過去の「意識」情報の蓄積を含む「脳内世界モデル」に対する連続的クオリアである。
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