『土佐街道を歩いて見たいと思います。』
私が生まれ育った新宮町地区には高知から愛媛を通り抜ける『土佐街道』が通っておりました。高知県の大豊町立川の木番所を最後に、愛媛に入ると笹ヶ峰を越える事と成ります。先ずは杖立地蔵から水無峠や笠取峠を超え、腹包丁(余りの急勾配で、武士が腰に差す刀が閊え邪魔になるため、お腹に抱える形で坂道を這い上がった事が由来)そして、下り付きと抜けて来ます。
その後突き鐘(現在の脇製茶辺り)から堂成(霧の森周辺)を通過し、熊野神社(旧町役場辺り)を通り、それからは銅山川を渡し舟で渡っていたとの事です。現在は赤に塗られた橋が架かっておりますが、その真下辺りに舟が何艘か繋がれていたのでしょうかね。川を渡って不動(その当時のお堂が残っており、私の母親がたまに掃除をしておりました。)の前を通り、一升水、水ヶ峰地蔵堂を通り横峯から川之江町の平山辺りに降りて行くルートだった訳です。
私が小さなころにはその水ヶ峰地蔵堂に行っておりましたね。「花まつり」の時期には何やら婦人会の方だったか、炊き込みご飯をおにぎりにした物や、甘茶などで接待をしていたと記憶しておりますが、いつの間にかその習慣も無くなっておりました。
この「土佐街道」もちろん当時の土佐の大名が家臣をつれての参勤交代のため大行列をしていたでしょうから、地元の方々にすれば、豪華絢爛な衣装をまとった武士や槍持ちなど総勢1,600人以上多い時には2,000人を超える大行列を目の当たりにしていた訳で、京都で行われる葵か時代まつりみたいな賑やかさだったのではないでしょうかね。本来なら船で大阪へ渡るルートもあったようですが、台風による被害を避けるにはこのルートが安心だったようです。この「土佐街道」もしかすればあの『坂本龍馬』や『中岡慎太郎』が通った可能性も無きにしも非ずでしょうから、そう考えるとちょっとワクワクしてしまいます。
時間が有れば一度のんびりその道を歩いて見たいなと思います。
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