『捨てる神あれば拾う神あり。なのか?』
今日は朝から雨模様で事務所の前を、ただただ水しぶきを上げながら車が走り抜けております。昨日久しぶりに土居町中村地域を車で走ってましたら、空家になっている住居がびっくりするほど目立っておりました。昭和30~50年あたりに建てられた和風の物ばかりでしたね。俗称「やつおの家」と言われる、屋根の稜線が8つある、伝統的な日本家屋のスタイルの物が多いのかなと思いつつ車窓の左右に気を取られながら走ってました。
あの地域独特の庭ごしらえなんでしょうか、道路との境界には石積みがされており、庭には五葉松などの庭木が必ずどこかには植え込まれております。空き家のどれもがセイタカアワダチソウが勢いよく空に向かい、乗り手の居なくなった軽トラが放置されている住宅もございましたね。中には築20年ほどではないのかと思える住宅も有りましたが、庭は草が茂ってましたからやはり空家なんだとお見受けさせて頂いた次第です。ここ四国中央市は元々、東から川之江市、伊予三島市、土居町、そして山手に行くと新宮村、その4市町村が’04年、今から19年前の平成大合併により現在の四国中央市となった訳で、もとの行政区で言う土居町と新宮村は人口の減少は特に目立つところでしょうか。
昨日、現在関東に暮らして居られる方から電話を戴き、その方は瀬戸内側に何か安い空き家が有れば買いたいとおっしゃっており、その理由の一つとして、瀬戸内海は太平洋と違って穏やかなイメージが有るとのお話しでした。また、何故愛媛なのかとお聞きしますと、言葉の響きが好きだからと言うお話しでし。えひめ″…ああ成るほどと思いつつお話を聞かせて頂いた次第です。その方がもう一つ住宅を捜されている理由としては、住宅が密集しておらず、のんびりと自分のライフスタイルを楽しむ事が出来る場所が希望だと言われておりましたね。
これまで都会の喧騒に包まれて暮らして来られ、さぞかしお疲れなんだろうと邪推してしまいましたが。この仕事をさせて頂いている中、結構多いんですよね、四国はいくらか暖かい地域で、瀬戸内が近くに有り、のんびり出来るだろうとお考えされている方が。そう考えますと昨日の土居町の空家等は、そういった方々のイメージに近いのではとそう思いました。お天気の良い日にもう一度あの辺りを訪ねて見ようと思います。
『実家の庭に生えていた大きな富有柿の樹を切った日の想い出。』
あれだけうるさく鳴いていたセミも役割を終えたかのように、境内は静まり返り、風にふかれた数匹のトンボが揺れておりました。昨日の夕方、西の空は朱く染まり、頬を撫でる風も決して暑くはなく、幾分涼しく感じました。秋です。
さていよいよ待ちに待った食欲の秋となりましたが、随分昔の話私が生れ育った実家の庭には大きな富有柿の樹が生えており、運動会の季節にはそれはもう沢山の実を付けておりました。その富有柿とても甘くて毎日2〜3個は採って食べてましたね。
ただ、いつも気になっていた事が有りました。それは採り残した実が熟して来ますと、ヒヨドリがついばみに来るは、足長バチがその実の回りを飛び回る始末。また、その実が熟し過ぎると地面に落ちて、掃除が大変だったものです。
その当時何かのテレビ番組で「家相的に庭に実のなる果樹を植えるのは凶です。」と聞いた私、独断でその富有柿の樹を切り落としてしまいました。枝を切り落とし、残った幹を小刻みに切り落とし、株だけが地面にその面影を残しておりました。その姿を母親は黙って眺めておりましたが、仕事から帰って来た父親はかなり驚いておりましたね。ただ、父親も口を噤んだまま家の中へ入って行きましたが、その背中は淋しそうな気がしたのを覚えております。
桜の樹を切ったとしてジョージ・ワシントンの逸話が有名ですが、あのお話しメイソン・ウィームズと言う牧師さんが書いた「ジョージ・ワシントンの生涯と記憶すべき行い」と言う本に記載された創作なんだそうですね。そのお話しの根底には、アメリカ人は正直で有るべきで、ワシントンもそういった人物で居て欲しいという願望が有ったと後に語られていたようですね。そのワシントンの名前が付けられたアメリカのワシントンD.C.には、1912年日本から親善の象徴として贈られた桜の樹が、いまでもポトマック河畔で市民の方々を楽しませている様ですね。ワシントンと桜、不思議な繋がりを感じます。
さて、もう随分昔の事と成りましたが、あの富有柿の美味しさは今でも忘れられない物です。切らずに残して置いたら良かったのかと、何度もその事に付いて自問自答する事が有りますね。桜切る馬鹿・梅切らぬ馬鹿、柿の木切るのは?
『売却が困難な不動産、どうしたものですかね。』
昨日、誰も住まなくなったと言うご実家の下見にお伺いさせて頂きました。その住宅四国中央市の少し山手側に建っており、調べた所建物登記がされておらず、築年数が定かでは有りませんが、使用している瓦の仕様から見て、昭和40年前後だと思いました。内部を拝見させて頂きましたら、ところどころの床がしなっており、床下の劣化が進んでいる状態でした。浴室も当時のままセメント仕上げにペンキを塗って仕上げておりましたから、多分半世紀ほど以前の建築だと推測しながら室内を拝見し、外回りを点検させて頂いた次第です。
この住宅手直しをすればまた数年は使用に耐えられるでしょうが、屋根材に使用されている瓦がセメント瓦で、この瓦は昭和30年以降に量産された物で、金型にセメントを流し込んで押えて成型し、塗装をしたものです。香川の瓦屋さんに聞いた覚えが有りますが、この塗装の寿命は長くて20年、そして瓦そのものの寿命は30年程度ですから、30年以上経過した瓦に再度ペンキを吹き付けても、本体の劣化は止められない訳ですから意味のない所だと言う訳です。
今回の住宅もそのセメント瓦で葺かれており、塗装も元の色が剥げ落ちておりましたから、このまま住むためには瓦そのものを葺き替えする必要が有る状態だと感じました。
さて、ここの住宅で一番ネックになる物が一つ、それは建築基準法で言う所の「道路」に接道してない事でした。『接道義務』は昭和25年に定められた物で、建築基準法上の「道路」に間口2メートル以上が接していなければならない訳です。今回の住宅は都市計画区域内に有って、その道は幅員1.7m程度で調査の結果、この道、建築基準法上の道路には当てはまらない道だった訳です。と言う訳ですから、再建築をするにはかなり難しく、また逆に現存している建物の解体をするにも、重機の搬入が厳しい立地ですから、誠に申し訳ない中所有者の方には売却する事に付いてはかなり難しい旨お伝えさせて頂きました。最終的にお奨めさせて頂いたのは「ゼロ円物件」と言うサイトの存在をお教えさせて頂くのが関の山と言う所でした。
街なかでもこの再建築が不可能な立地に在る物がたまにございます。今まで道だと思っていた物が「道」ではなく他人名義の敷地だったと言うケースも有りましたね。接道義務、なかなか無視できない基準法、今回のお客様には誠に申し訳ないと思いつつ、お断りをさせて頂きました。やるせない気持ちですね、ほんと。
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