『阪神タイガースと宮沢りえさん、懐かしい次第です。』
プロ野球、私自身こちらに戻ってからは全く関心が無い状態です。
1985年で阪神タイガースが優勝した時期には、よく甲子園球場に行ってましたね、職場のほぼ80%くらいがタイガースファンで、特に応援しているチームが無い私は、無難な立ち位置で応援してました。
当時は掛布に岡田、そしてバース等が名をはせておりましたね。私も周囲の声援に交じって『バース!バース!』等と叫んでた事も有りました。居酒屋で呑んでても会社の朝礼が有った日も、タイガースの事ばかりが話題で、その他がファンの方達には肩身の狭い、そんな関西あるあるでしょうか。
当時はまだ携帯電話など存在すらしてない時代でしたから、仕事で外から電話をする為には公衆電話を使用するしか手段は無かった訳です。公衆電話を使うにはコイン若しくはテレホンカードが必要だったんですよね。そうそのタイガースが日本チャンピオンとなった’85年に優勝記念で、阪神タイガースのテレホンカードが発行されたのですが、それがみるみる内に高値がついて、確か500円のテレホンカードが4〜5万円まで跳ね上がった事が有ります。
当時私は三井のリハウスに勤めており、その当時の初めてリハウスガールとして起用されたのが、あの宮沢りえさんでした。当時の営業ノベルティグッズとして宮沢りえさんのテレホンカードを、来店されたお客様にお渡ししておりました。そのテレホンカードもタイガースと同じ位にプレミアムが付き、やはり4〜5万円で取引されていたのを思い出します。私も当時タイガース日本チャンピオン、宮沢りえさんテレホンカードを沢山持っておりましたから、そのうち何枚かを売った事が有りますね。
それから2〜3年経ってから移動式電話(携帯電話ではない)と言うものが出始め、当時私が乗っていた車にはその電話機を収めるボックスがついており、シートとシートの隙間に収納出来るようになっておりました。受話器にプッシュボタンがついた物で、運転しながらその受話器を持って話をする事がまだ違反でなかったんですよね。それを取り付けるにもかなりの費用が必要でしたし、使用料が半端では無かったですね。確か毎月8万円位の通話料金を払っていた記憶がございます。
今は手首に付けたapplewatchで通話が出来るのですから、30数年でこれほど便利な時代が来るとはいったい誰が想像出来たでしょうか。さて、18年ぶりの優勝!今日でしょうか?大阪ミナミの街に人があふれる事が心配ですが。
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