雨にも、風にも、〜29 ニコニコたぬき
選挙で@の人が来た。すぐそこでたぬきの子を見かけたと言う。 「可愛い!」初めてだとの事。
家の前をニコニコしながら通る。汚いたぬきは見たことがある。いつも一匹である。毛の生え換りで、とても汚い。
"オイ ”(女房)と山へシバ刈りにいった帰り、10mほど先を、ニコニコたぬきが通った。そのあとをやはり汚いたぬきがつづいて行く・・・子だぬきだ!いた親子だ!子だぬきは親の半分ほど・・・先頭のたぬきはニコニコ山に入っていった。
いつものようにボーッと外を見ていると、たぬきがニコニコしながら、道路を横断していった。
”子育ては楽しいか! ガンバレ!
* けさ5時半から、日光に行ってきました。温泉保養センターかたくり温泉 ・大人300円・65才以上200円・割引の本があれば、100円引きです。入浴してきました。帰宅は16時30分でした。G(0,18)
あッ 入れ歯を忘れた!・・・ サカイヨシユキ
雨にも、風にも・・・〜29 生きているー2
2度目に死にそうなったのは 10代の職人の時でがんす
多摩地域は昔、水道・下水がない所があった。水は井戸であり、ひたすら土を掘ると砂利が出る。その砂利層を掘り進めると水脈にあたる。その水を手動のポンプで汲むと飲める水がでる。掘る場所にもよるが小金井で30尺越えれば水が出る。
下水も、ひたすら掘る砂利が出たら少し掘って終了である。我々の時代は ”吸い込み と言った。衛生上吸い込みは井戸から2m以上離せと言われた。この時代トイレはくみ取りでその辺の畑にまいた、朝日新聞を切って尻を拭いた!縄は使わなかった・・・ 畑には蝶々がいっぱい飛び夢のようだった。
吸い込みを掘っているとき、10尺ほど下から変わってくれとの事、降りて掘り始めたら、息が吸えない、空気が吸えない、すぐ引き上げてもらった ”ガスが出た のである、今でも下水などガスで亡くなる方がいる。あの頃・場所により井戸で水脈までの砂利層が深い所では、生き埋めになられた方がいた。そんな世界にいた・・・
はぁはぁ〜と空気を吸っても吸えない経験をした!そんな経験者は少ないと思う、死ぬ確率は高い!
戦争がえりの元軍人は ”寡黙で凛として・・・私と違いべらべらしゃべらない、命を賭けてきた人は、歳をとっても変わらない最後までかっこいい!見本である。
いろいろあったが 生きている! サカイヨシユキ
雨にも、風にも・・・〜28 生きている−1
”私は2回死にそうになった” 小学生のころである。いまの多摩川の競艇場のあたりにジャリ穴がたくさんあった。砂利を掘った後で直径5m〜10mぐらいの丸い穴です。
その穴のまわりは建築で使う、きれいなジャリで、すり鉢状になっており、30pから1mぐらい下は水になり、いわゆる池であった。いま思えばジャリでよく滑り”アリ地獄である。
よく釣りに行った 小さい魚がいっぱいいた みんなは”クチボソとよんでいた。 その日は3〜4人で遊んでいた。そばに枕木があった、3本ぐらい束ね筏(いかだ)にして、乗って遊んだ。
私は、枕木1本を浮き輪がわりにして、掴(つか)まり、水遊びをしていた、ジャリ穴の中央で、突然引き込まれた!沈んで行くとき目を開いていた そのとき水の少し濁った色と小さい砂の粒が見えた!2〜3m真っ直ぐに沈んでいった。 下のほうは冷たかったのを憶えている。
神のちからか 運の強さか 助かった!水の中に消えたのを誰も気ずかなかったし・・・ 枕木につかまっていたのに”引き込まれた! 本当の経験である。その後ジャリ穴では何人か亡くなったと聞いた・・・合!
クソガキの日々の過ごしかたはそんなもんであった。 ジャリ穴とか遊びの行き帰りの線路で、川に架かる鉄橋があった 度胸だめしで、枕木と線路のあいだ(50p〜?)に潜り電車の通過するのを待った。
危険がな遊びがいっぱいだった。 サカイヨシユキ
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