2019/02/25 14:52:40

テッ、テレビ出演...


  ...デスカ?


かっこ良く言えば、


「テレビ出演のオファー」って奴?


 これで2度目かな〜。


ふんでも...柄じゃないよ...ね。


 えっ、昔?


そ、そりゃダン..ダン..団...?


 まっ出たとしても...カネ払う...みたいだしね〜?




















2019/02/17 11:58:12

天皇家の祖先神は海人族

 


 邪馬台国の東遷はなかった



先頃、邪馬台国はなかった?卑弥呼神社がない理由?論が出た。


そもそも邪馬台国は日本の何処にでも比定?できるもの。


主に九州 出雲 吉備 四国 丹後 畿内 常陸 東北説などがある。


確かに卑弥呼を祭神とする神社はないようだ。(いまある卑弥呼神社は近世に作られた物)卑弥呼の時代の邪馬台国の宗教には神道に近いものはなく、鬼道とされる異質のものだったからなのか。


卑弥呼は職掌名で本名ではなかったのか。


卑弥呼はヒミカと読まれることもあるが、或いは日の巫女、日御子だったのかもしれない。はたまた国宝の海部氏系図にある日女命だったか。確かに日女命と卑弥呼の時代は近接していると見ることはできる。


また素戔嗚尊(アマテラス)の娘の市杵島姫命が卑弥呼であるとする説もある。


本来アマテラスと呼ばれていたのは、饒速日(天照国照)であったが、血筋が傍系であったのか、いつの間にか歴史の本流から外されてしまった。



 


 饒速日の「天照国照」は一般に「アマテルクニテル」と読まれているが、



天照大御神が「アマテラス」であるから「アマテラスクニテラス」と読むべきで


あろう。


 アマテラスには太陽のイメージがあるが、アマテラスクニテラスには人間味


が加わってより現実味が出ているようだ。



卑弥呼=アマテラス説も有力なものである。弥生時代という背景が、かなり類似していることもあろうか。しかし卑弥呼がアマテラスだったと仮定すると、ここには最強最大の謎が立はだかる。


卑弥呼を何故アマテラスとしたのか、卑弥呼と邪馬台国を知っていたなら大和朝廷の前身は邪馬台国と記述すべきだろう。記・紀はアマテラス以前の神々の系譜まで記述しておきながら、邪馬台国については一切言及していない。


四道将軍の記録はあるものの、邪馬台国の南にあった狗奴国との戦争にも一切触れていない。


同様に考えると邪馬台国東遷説も成り立たない。邪馬台国が東遷して大和を築いたのであれば、その旨を記・紀に記した筈である。神武天皇や応神天皇も西方から東上して来て大和に君臨したのである。



天皇家の祖先神は海人族



また天皇家の祖先神は「天の○○」と付く名の人が多い。


天(アメ)の○○は海人族、海部(アマ)氏などを連想に誘う。海人族は縄文時代に山東半島や韓半島から、黒潮に乗って北九州などに渡って来て稲作をもたらしたという。


安曇氏が海人族の代表氏族となろうか。安曇氏は古くから淡路島に拠点を持っていたらしく、今にその伝承が多く残っているという。ちなみに安曇氏の先祖は饒速日の天降りに随行している。


先代舊事本紀によれば、饒速日は天神御祖から十種の瑞宝を授けられて天降りしている。この際に供奉した三十二人のうち、二十五人の名前に「天(アマ)」がついている。


これはアマ族(氏)そのものと考えても差し支えないと思われる。


もう一つ気になることがある。記・紀では天降りしたのは邇邇芸命であるが、この二人の名前「ニニギ」と「ニギハヤヒ」の音が似ているのである。「ニギ」は賑わいと解釈されているが、どちらかが「ニギ」の音を使って別の名前を創作したのか。それとも混同したものか。


だがしかし先代舊事本紀は別巻で邇邇芸命の天降りをも記している。?



 高天原はいずこ



日本神話は淡路島の海人族の神話を又借りして作ったという説もある。まして淡路島はイザナギとイザナミが、一番最初に生んだ島ではないか。となれば天皇家の歴史は淡路島から始まったと言える。淡路島には現在「阿万」の地名もある。また「アメ(アマ)」には海との関連性が色濃く漂っているように思う。「天降る」とは潮流に乗って日本列島の何処かに行くことではないのか。もしかしたら海人(族)降るだったのだろうか。


次田慎幸は「神語歌には、海人集団の生活や体験に関係の深い詞句が多く用いられている。」と言っている。天照大御神や天照国照は「アマ〇〇」と呼ばれる。「天(アマ)」とは空の上のことだが、空から人や船が下りて来る筈もない。「天」を垂直方向から水平方向に置きなおして見ると、空は「海」に「天」は大陸になるようだ。


「天(アマ)」とか「高」には「遠い・気高い」意が込められているようだ。


「高天原」とは遠くの海人族の住む原の意が込められているようにも感じられる。仮に海人族が遥か彼方の山東半島から渡って来て、先祖の記憶・伝承が天の〇〇の名前になったとすれば、高天原は大陸にあったとのイメージに繋がる。



邪馬台国は北九州



饒速日は天の磐船に乗って大和に降り立っている。やはり海と船が大きく関わっているようだ。


事実ならば天皇家の原初始祖とも言えようか。いずれにしても、邪馬台国の位置を考える際に音や表記文字に捉われる必要はない。倭人から聞き取った音を、適すると思われる表意文字に認めたのだろうから。


対馬が對海、壱岐が一大、松浦が末盧の表記である。


邪馬台は山門、山谷、八女であったかもしれない。女王国の南にある狗奴国は、音が似ている熊本であったと考えるほうが自然だろう。近接しているが故に統率者の名前には「卑弥」が共通しているのだろうか。


倭人・邪馬台国は顔や体に入れ墨していて、温暖で冬でも生野菜を食べる。そして瀬戸内海の景観には言及していないことから、何を言っても大和には持っていけない。古事記や日本書紀に三世紀の天皇が中国と通交していたとの記録もない。


翻って伊都国(志賀島印)や奴国(後漢書に記載あり)は「漢」から金印を貰っており、古くから大陸と通交がった事が分る。特に伊都国は200年以上も続いた有力な国家であったようだ。


八世紀の史官たちは、三世紀の邪馬台国について詳しいことは知らなかったとみえる。もしくは都合が悪くて黙殺したか、だとすれば何故神功皇后に擬せたのか、という疑問が湧いてくる。


八世紀初頭の政府高官でもあったろう記・紀の編纂者が、なぜ邪馬台国のことを書かなかったのか。


邪馬台国は遠隔地にあった為に情報を得られていなかったのか。記・紀の記述からは、高天原は遠く海の向こうに存在する国という印象が強く漂ってくる。素戔嗚尊が足跡を記している韓半島のイメージが浮かんでくる。



実際に韓国に高天原を作ってしまった学者もいる程だ。奈良市にも「高天原」の信号があるが、これは後付けであろう。


おそらくは調べても記録や伝承が残っていなくて、倭人伝だけしか管見に入らなかったのだろう。なにせ古代でのことであり、編纂時より400年以上も昔のことだったから。


だが九州まではイザナギが筑紫の日向で禊をしたほか、神武天皇が宮崎から出立し宇佐神宮に立ち寄るなどの記述からは、同地の事情は周知のことであったようだ。


記・紀がいう「筑紫の日向」が宮崎であったとすると、大和朝廷の史官たちは九州の東半分しか知らず西半分には立ち入れなかったのだろうか。その場所・福岡の南、熊本の北に敵対する強力な国、邪馬台国があったのではなかったか。。


 





2019/02/14 12:06:44

三井の...モデル..

...ルームは...ちょっと。


ーーモデルルームできたの?


ーーハイ。(オバサマ)


ーー業者だけど見せて貰える?


ーー業者さんって?


ーーふ、不動産ヤ。


ーーどこの?


ーーそこの??


ーーダメなら別にいいけど。


ーー平日の方が宜しいかと、今日は混んでますので。


ーー(だ〜れもいないけど?)じゃ別にいいよ。


ーー聞いてみましょうか? 同時 ーーミツイってそうなんだ。


  (秘仏じゃあるまいし...。)


 「ナイス」とは違う...もんデ。






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