JR線接続 ダイヤ 発表。
相鉄線から東京行のダイヤが発表された。
西谷から新宿方面は、
朝の8時代には 5本。
(こんなに乗る人 いる?)
東京方面行の電車は海老名方面から来る電車。
湘南台から来る電車は従来通り、横浜行き みたい。
これからは西谷駅で新宿行きの電車と
横浜駅行きの電車の両方がホームに居る
可能性もある?
大和方面から来る乗客は
新宿方面へ行く人は乗ったままでOK。
横浜行きの人は二俣川で乗り換えが必要。
ここで便利になる人、不便になる人と明暗が
別れるコトに。
二俣川と西谷はホームが4本あるけど、この間の線路は
一本だけ。
この一本のレールの上を6〜7分に一本の電車が走る。
線路沿いの人は....?
神武天皇は三世紀の人?
このところ神武天皇実在説が勢いを増しているよう。小原氏は神武没年を
272年と提示している。安本氏は更に30年ほど遅い年代を提唱している。
安本氏は数々のデータを駆使して古代天皇の平均在位は10年としている。
この数字は中国やヨーロッパのデータを採ってみてもほぼ同じという。
仮に、実在していたと思われる21代の雄略天皇が在位11年として没年
から11年を引くと468年になる。
ここから20代遡るには10代×11年、
10代×10年で合計210年遡ることになる。468−210=258年と
なる(生誕時から遡っていくと207年になる)
272年とは14年の誤差しか出ないことになる。
しかしこの頃に神武が大和で亡くなったとすると次の疑問が湧いてくる。
同時期に築造された箸墓古墳は誰の墓?という命題がそれだ。
箸墓古墳の被葬者は倭迹迹日百襲姫命とされている。百襲姫は三輪山
の神との神婚譚があるほか、箸で女陰をついて死んだとの伝承が残されている。
神武が比較的新しい三世紀の人物であったなら、もう少し同様の人間的な
エピソードが伝わっていそうなものと思える。
(仁徳と類似の山から見るエピソードはぴんと来ない)
箸墓古墳の被葬者が百襲姫である筈がない。孝霊天皇皇女とされている
ものの天皇でもない百襲姫が天皇陵よりもさらに巨大な古墳に葬られる訳
がない。
すると箸墓古墳は「神武陵」とするしかないのではないか。
何しろ当時の大権力者は神武の他には見当たらない。
大和を統一した稀代の英雄の墓がないのは不自然とも言える。
畝傍山の近くに神武陵があったと伝わるが、それも中世の頃には位置
不明になってしまった。
巨大な範囲や高さを持っていたなら位置が分からなくなるとは考えにくい。
そして何よりも三世紀の大和の巨大古墳は箸墓古墳だけなのである。
神武が三世紀後半の人だとすれば、箸墓古墳の被葬者は当時の二大権力者、
神武か卑弥呼か、とならないか。
神武が三世紀に活躍していた人物となると、それは邪馬台国の時代であり、
大和と邪馬台国が併存していたことになる。そうすると邪馬台国東遷説は
必然的に消滅するようにみえる。
これに対し安本氏は後に北九州の勢力が東上したとして、卑弥呼はアマテラス
で高天原(アマテラスのいる所)は九州にありとする。
邪馬台国は朝倉市周辺ともいう。すると北九州と神武の故郷鹿児島や
宮崎の南九州との関係はどうなるのであろうか。
日本書紀や古事記の編纂学者は高天原を知っていて、邪馬台国のことは
知らなかったので記述しなかった?ということになるのだろうか。?
そして...お金持ちは
........消えてゆく?
金欠病の国庫を癒すため?相続税も高くなり、
代々栄華を極めてきた あの三井家も困惑したようだ。
三井といえば越後屋・三越であり、数知れない壮絶な商戦を戦い抜いて
きた。
平成初期に当主が亡くなった際には、相続税を現金では払えなかった
模様。
一等地麻布にあった邸宅の敷地は1200坪ほどもあったが、
1040坪を物納したという。相続額が160億円で税金が100億円だか
ら、単純に税率を計算すると62.5%にもなる。
相続税率は相続額が6億円を超えると55%だが、更に高率になって
しまったのか?
相続税率は8段階になって最高税率55%。この税率は贈与税も同じ
はず。
他に贈与財産や保険金が加算されているのかとも思うが、
基礎控除額などが引かれて更に課税金額が下がるのでちょっと不可解?
もっとも、この頃は地価が一番高かった時代の末端だった事が却って
被害となった?
それにしても1200坪の大名屋敷から、一気に160坪のやや金持ちに
変身したという事になろうか。
この土地で儲けたのは三菱であった由。
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