2009/06/29 10:45:22

 三種の神器 神剣・草薙剣の行方 Z

 その後に芦原中国を平定した剣として、高倉下に授ける時には布都御魂という名称になっている。
 この間の事情をどう考えたら良いのだろう。十掬剣が芦原中国を平定したことにより昇格して「布都御魂」と呼ばれるようになったのか。またオオナムチから献上させた矛が、布都御魂となったとも考えられるのである。

タケミカズチは、芦原中国を平定した時の剣と言って高倉下に授けている。この言をそのまま読めば十掬剣になるが、大巳貴から献上させた矛のその後の行方は記されていない。
大巳貴から献上させた矛は、当然神宝として珍重された筈である。強大国に攻め勝ち、従属させた証としても大事に取り扱われたと思われるが、記・紀や諸文献にその後の記述はない。

大巳貴の矛が布都御魂にならなかったとすれば、神宝として天神系氏族に記録され、伝世されたと推測できるが、そうした様子は一切感じられない。これは大巳貴の矛が布都御魂に、変身したからその後の記述がないのであろう。

古語拾遺の記事にあるような事実は、なかったとすることもまた可能である。だが古語拾遺の記事を、歴史の中に組み込んだ方がより、しっくりとしたストーリーを形作ることになるのである。

熱田神宮の神官が、草薙の剣を盗み見た時の記録に「刃先は菖蒲の葉のようになり、中ほどはむくりと厚みがあり、全体が白い色をした剣であった。」とある。この記録を読む限り、銅矛が連想されるのは私一人ではあるまい。鉄剣は腐食して黒くなるが、白くはならない筈である。

 この推測が正しければ、古代天皇家の神剣は全て出雲、或いは芦原中国から出ている。長い歴史と文化をもった大国・芦原中国は北九州から畿内、紀州までを勢力範囲に収めていたと考えられる。

出雲の国神とみられるスサノオの足跡は、新羅から北九州そして紀州にまで及んでいる。出雲神社もまた然りである。高天原勢力の最大のライバルであった、芦原中国には神宝が蓄積されていたのだ。









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