2010/01/31 14:47:05
桜を育てて何思う・・・
今年の冬は寒いようです。古いアパートを管理していると、寒さが厳しい時は大変です。排水管が建物の外に露出している状況で凍結し、雪の降る中、2・3時間、外での作業となりました。
測量山の桜も冬に耐えています。
さて今日は、桜に関してのお恥ずかしい話を致します。
「西洋実桜」これは、なんと読みますか?
「せいようみざくら」と読みます。
本当に恥ずかしい限りです。先輩たちには、「恥ずかしいの一言ではすまないぞ」と怒りに満ちた罵声を浴びせられる始末。また、女性の方には、「そうは読まないのに・・」と困惑を隠しきれない顔をされました。本人はその場では、その間違いにぜんぜん気づいていないです。
あるとき、桜の本を見ていて、その漢字の横に振り仮名が記されていたのに気づき顔を赤らめたしだいです。その本を数回見ているにもかかわらず私の頭の中には、その振り仮名とは別の読みでインプットされていたのです。「振り仮名を見て覚えるものでもない」とまたお叱りを受けることになるかもしれません。誠に恥ずかしく思います。ただ、言い訳をさせていただければ、その漢字はこのように読むと頭にインプットされている以上それを疑うことは自分ではしないのです。だから、あるときその間違いにふと気づき顔を赤くするのです。先輩たち「本当に、ごめんなさい。」
その後、冷静になってよくよく考えてみました。思いあたる理由として、学生時代の「漢字のマメテスト」を思い出しました。高校生時代の漢字マメテスト、いつも点数が悪く、担当の先生に呼び出され、「お前、もう少し勉強して来いよ。大体出る漢字がわかるのに何をしてるんだ。」と
このときの返答を今でも覚えています。
「先生、一生懸命勉強してんだけども、漢字に関してだけは、点数がとれないんだよ」となかなか奮った返答をしました。
年月が経ち、やがてその「バチ」があたるのです。後輩諸君、くれぐれも漢字の勉強は怠らす・・・・
最後に一句
桜木を 育ててわかる 師の思い
*国語の担当の先生、何卒これで、ご勘弁いただけないでしょうか。
「西洋実桜」を「せいようじつざくら」と、
くれぐれもこのようには、お読みにならないように・・・
測量山の桜も冬に耐えています。
さて今日は、桜に関してのお恥ずかしい話を致します。
「西洋実桜」これは、なんと読みますか?
「せいようみざくら」と読みます。
本当に恥ずかしい限りです。先輩たちには、「恥ずかしいの一言ではすまないぞ」と怒りに満ちた罵声を浴びせられる始末。また、女性の方には、「そうは読まないのに・・」と困惑を隠しきれない顔をされました。本人はその場では、その間違いにぜんぜん気づいていないです。
あるとき、桜の本を見ていて、その漢字の横に振り仮名が記されていたのに気づき顔を赤らめたしだいです。その本を数回見ているにもかかわらず私の頭の中には、その振り仮名とは別の読みでインプットされていたのです。「振り仮名を見て覚えるものでもない」とまたお叱りを受けることになるかもしれません。誠に恥ずかしく思います。ただ、言い訳をさせていただければ、その漢字はこのように読むと頭にインプットされている以上それを疑うことは自分ではしないのです。だから、あるときその間違いにふと気づき顔を赤くするのです。先輩たち「本当に、ごめんなさい。」
その後、冷静になってよくよく考えてみました。思いあたる理由として、学生時代の「漢字のマメテスト」を思い出しました。高校生時代の漢字マメテスト、いつも点数が悪く、担当の先生に呼び出され、「お前、もう少し勉強して来いよ。大体出る漢字がわかるのに何をしてるんだ。」と
このときの返答を今でも覚えています。
「先生、一生懸命勉強してんだけども、漢字に関してだけは、点数がとれないんだよ」となかなか奮った返答をしました。
年月が経ち、やがてその「バチ」があたるのです。後輩諸君、くれぐれも漢字の勉強は怠らす・・・・
最後に一句
桜木を 育ててわかる 師の思い
*国語の担当の先生、何卒これで、ご勘弁いただけないでしょうか。
「西洋実桜」を「せいようじつざくら」と、
くれぐれもこのようには、お読みにならないように・・・
2010/01/08 11:47:00
昔も今も・・・
明けまして、おめでとうございます。遅い挨となって、申し訳ございません。今年も宜しくお願い致します。当社は、賃貸物件をさほど扱ってはおりませんが、新築物件・学生マンション等管理物件を抱えておりますので、その入居が気がかりです。特に室蘭工業大学周辺の学生マンション等は、地元の不動産屋として扱いたいものです。もっと協会等のネットワークを利用して、相互にお客様をご紹介しあうことができれば、また違った状況があるのではないでしょうか。
新年を迎えて、桜は元気です。
さて昔、日本には公害というものがありました。現在もその影を残しています。高度成長期、環境というものがさほど認識されていなかった時代です。今は、対岸から日本の高度成長期に似たさまざまな状況により、私たちの身近な環境も破壊されつつある時代です。それは生活におけるある一方の価値等を優先させ、もう一方の価値等を軽んじ、その両者のバランスをあまりにも欠いたせいではないでしょうか。「今は昔のようではないよ・・」と言う人がいるかも知れません。はたしてそうでしょうか。まだまだ私たちの身近で考えなければならないことが、多々あるのではないかと思います。
町並み一つ見ても然りです。街路樹がきれいに並び、その光景にひと時のくつろぎを味わう人も多いことでしょう。しかし、その樹木を一つ一つよく見てください。樹木の上には電線が走り、そのために本来であれば天までとどけとその樹勢を誇るのですが、それもかなわない。ましてや、電線と幹が接触するのを避け、その幹を切り、樹木が持つ本来の樹冠さへ保つことをさせない。さらには、切った幹から枝が空へ向かって伸びようとすれば、また枝を切る。おまけに、その作業が、毎年毎年行われている。
つい、「昔も今も・」と言いたくなります。
山は、その場所が自然と樹木のもつ生命力との戦いの場になっています。そこには、人工的な人の手は介在しません。させることがあったとしても、それは自然を配慮しバランスを考えた、最低限の介在と考えられます。
環境が声高に叫ばれる中、私たちの身近にある状況に、何か虚しさ・悲しさ・怒り・矛盾を感じざるおえません。皆様はどう考えるでしょうか。
余談として、街路樹の問題も今流行の「事業仕分け」にかけて、今後の対応を考えてみてはいかがでしょうか。
新年を迎えて、桜は元気です。
さて昔、日本には公害というものがありました。現在もその影を残しています。高度成長期、環境というものがさほど認識されていなかった時代です。今は、対岸から日本の高度成長期に似たさまざまな状況により、私たちの身近な環境も破壊されつつある時代です。それは生活におけるある一方の価値等を優先させ、もう一方の価値等を軽んじ、その両者のバランスをあまりにも欠いたせいではないでしょうか。「今は昔のようではないよ・・」と言う人がいるかも知れません。はたしてそうでしょうか。まだまだ私たちの身近で考えなければならないことが、多々あるのではないかと思います。
町並み一つ見ても然りです。街路樹がきれいに並び、その光景にひと時のくつろぎを味わう人も多いことでしょう。しかし、その樹木を一つ一つよく見てください。樹木の上には電線が走り、そのために本来であれば天までとどけとその樹勢を誇るのですが、それもかなわない。ましてや、電線と幹が接触するのを避け、その幹を切り、樹木が持つ本来の樹冠さへ保つことをさせない。さらには、切った幹から枝が空へ向かって伸びようとすれば、また枝を切る。おまけに、その作業が、毎年毎年行われている。
つい、「昔も今も・」と言いたくなります。
山は、その場所が自然と樹木のもつ生命力との戦いの場になっています。そこには、人工的な人の手は介在しません。させることがあったとしても、それは自然を配慮しバランスを考えた、最低限の介在と考えられます。
環境が声高に叫ばれる中、私たちの身近にある状況に、何か虚しさ・悲しさ・怒り・矛盾を感じざるおえません。皆様はどう考えるでしょうか。
余談として、街路樹の問題も今流行の「事業仕分け」にかけて、今後の対応を考えてみてはいかがでしょうか。
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