悲運か幸運か 完結編
前回は『救世主』のお話をしましたが、その手厚い管理のおか
げで、根を張ることができたようです。
桜も個体差があります。
時として、根づきが悪かったり
頭をもたげていたり と
頭ではわかっているのですが、
ついつい楽なほう(植え替え)へと考えてしまいます。
これもまた、現実として、管理に励みたく思います。
今回の出来事で、思い起こしたのが
松前の光善寺境内にある『血脈桜』にまつわる伝説です。
ここからは、その文章を引用させていただきます。
昔、松前城下に柳本伝八という鍛冶屋さんがおりました。
ある年の春、十八になる娘の静枝を連れて上方見物に出か
けました。途中、吉野で知り合った尼さんから一本のさく
らの苗を贈られ、それを静枝は土産として持ち帰り、菩提
寺の光善寺に植えました。その後幾十年、静枝もこの世を
去り、さくらも八重の大木となった宝暦年間(1751〜
1763年)1751年は、今から数えて263年前のこと
です。本堂を修理することとなりましたが、どうしても、
この桜木が邪魔なため切り倒すこととなりました。しかし、
その前夜のことです。
住職の枕もとに一人の美しい乙女が現れ
「死は明日に迫る身です。どうか血脈(極楽浄土
に行く証文)を与えてください」と懇願するの
でした。
住職は
「明日にしてくれ」と断ったのですが、聞き入れ
ないので、やむなく本堂に入れ、お経をあげて
血脈を与えたのです。
翌朝、住職が切り倒されようとしているさくらを眺めてい
ると、葉がくれに白いものが動いているのです。近寄って
見ると、それは前夜、乙女に与えた血脈だったのです。
住職はこれに驚き「前夜の出来事は、さくらの精のしたこ
とである」と考え、直ちに切ることを中止し盛大な供養を
行い「血脈ざくら」と名をつけたということです。
この古木は、昭和48年に
北海道の記念保護樹木に指定されています。
〈 2014年7月13日 〉
第2回さくらセミナーin松前
講演資料より抜粋
測量山の『救世主』に助けられた桜
心無い一人の管理者が、植え替えを考えた桜として、
数十年後に、
このような話を伝説として、語り継いで
いただければなあ〜 と勝手に思い込み、
一人で胸を躍らせている次第です。
なにやら、ちょうどいい時間となりました。
またお会いする日を楽しみに・・・
悲運か幸運か (樹木傷害事件) 幸運編
そこへ現れた救世主
私たちが活動する測量山、早朝からウォーキングする人達を
多く見かけます。その中の一人か?
数年冬の時期に、被圧等で倒れかけるような幹の頭を支えよう
と、つっかえ棒のように木の枝で幹を支える。そんな状況を、
見ていました。
ある時、管理作業中、グランドゴルフのクラブとボールを持
った人から、声をかけられ
「なんだか、幹の先が地表につきそうで、寒いのにかわい
そうで、枝支えてみたのですが・・・・」と
よォ〜く、よ〜く、わかります。
頭をもたげた姿勢で、風に打たれる姿は、見ていても、
つい手をかけたくなります。
「頑張てるネ。寒さに耐えてネ」と
救世主は、『この人』だったのです。
春先になると、その枝は取ります。
花の咲く晴れの舞台には「 ちょっと 」に合わない
感じがして・・・・
でも、こんな話をすると、
何やら寒いのに暖かい感じがして、「ホット」
します。( 一応、洒落のつもり・・・)
管理している立場からすると
支柱とした枝で、
幹を傷つけるのではないか?
幹と擦れたところから、樹木に害を及ぼす菌が入るの
ではないか?と
今のところ、そんな心配はないようです。
それでも、春先になったら、その枝は取ります。
『 晴れの舞台のために 』
山では、いろいろなことが起こります。
話をする中で、それぞれの人の思いを感じることもでき
ます。
こんな『 救世主 』の輪が広がり続ければ、
『 晴れの舞台に 』さらに花を添える話題となり
豪華な舞台に
「伝説として語り継がれることとなったら・・」
と顔をほころばせながら、また作業
ちょうど、時間となりました。
次回も本編の続編にします。
また会う機会を楽しみに
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