2013/06/20 7:58:24

風の余話

「かみつけ塾」の「堤ヶ岡飛行場と伝単」の続き。


体験談発表紹介


1. 師範学校生徒であった時、飛行場建設に勤労動員となり、白川(榛名)に砂利を採掘に行き、トラックで運んだ。又、片貝工場に勤労動員となり、その時伝単を拾った。


2.中島飛行機製作所に勤労動員で行った。前橋空襲(20年8月5日)の翌日、比刀根橋側の防空壕から遺体を運び出すところを見た。


3.小学生時、特攻隊員と親しくなり、写真を撮ってもらった思い出。そして、ものを自由に言えない時代の記憶が残っている。


4.防空壕におじいさんの手を引いて入っていった。そして、機銃掃射を見た時の恐怖感を語っていた。


5.堤ヶ岡飛行場空襲時を箕郷町の防空壕から見た。双翼機がとびっ立ったと思ったら、たちまちB29に打ち落とされた瞬間を目撃した。


6.女子高生が特攻隊員に手作りのプレゼントを贈っている光景を見た。


7.奉安殿を校長先生が白い手袋をして毎日拝んでいる姿、自分達も学校の行き、帰りに拝んでいた奉安殿が戦後たちまち取り壊された。


8.その他貴重な体験談を聞く事ができた。存命のうちに何らかの形で残せないものか。





2013/06/19 7:54:44

風の余話

 先日の日曜日高崎市の「かみつけの里博物館」主催の「かみつけ塾」を聴講。テーマは「堤ヶ岡飛行場と伝単」。講師はかみつけの里博物館の前館長鈴木越夫先生。


 堤ヶ岡飛行場は旧群馬町にあった。正式名称は陸軍前橋飛行場である。昭和18年5月着工。昭和20年3月完成。周囲5Km程。南部苦1000m、東西1300m、高低差3m。 桑畑45%、水田15%、その他40%の土地を青年奉仕隊、在郷軍人会、朝鮮人等の勤労動員で工事した。当初は飛行操縦士の育成が目的であったが、最後は特攻隊員の飛行訓練を行っていたという。


 伝単とは耳慣れない言葉であったが、宣伝謀略用のビラのこと。アメリカ軍が日本国民の戦意喪失させる為撒いた。これを持っていると当時は罰せられたという。又、子ども達はばい菌が付いているから拾ってはだめと教えられていたと言う。


 伝単の実物が展示してあった。伝単で予告されたとおりに日本各地で空襲が行われ、長崎原爆投下も予告され降伏を呼びかけられていた。焼夷弾の実物も展示してあった。六角形の筒で、長さ60Cm程。空中で爆発し、中から、六角形の小さな油管が出てくる仕掛け。


 講演後、参加者からの体験談発表があり、貴重な話が聞く事ができた。後日書きます。





2013/06/14 11:04:13

風の余話

 先日、同級生に今春借りた畑に植えたジャガイモほりをした。今年は雨が降らず極端に乾燥した畑となってしまったので、実が大きくならず、葉だけが先に枯れてきてしまう状態であった。それでも、30Kg入りの米袋に2袋収穫できまずまずで満足している。近所の人や、子ども達家族、友人等におすそ分けが出来た。農業の難しさを改めて実感した。特に、天候はどうにもならない。


 孫達と収穫作業をする予定で楽しみにしていたが、バレーボールの遠征試合があって叶わなかったのが残念。夫婦二人の収穫作業となった。






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