風の余話
市川五郎兵衛(真親)神社へ。三度目である。久しぶりの参拝。境内にある記念館が今日は開館していた。館長さんがいたので懇切丁寧な説明をいただいた。
市川五郎兵衛は群馬県南牧村砥沢の人。領主であった。徳川家に砥石を献上していた。将軍家から何か欲しいものはあるかと問われ、「峠を越えた信州佐久地方の開拓をしたい」と願い出て許された。今の立科村周辺地域である。
当時も水利権の問題が有り、簡単には水は手に入らない。蓼科山頂に水源を見出し、私財を投じて隧道を掘り水を引いた。等々の解説を聞いて、先人の知恵と労苦に感嘆した。
館長さんも先祖の出身は群馬県南牧村。五郎兵衛について、信州に入り、開拓に尽力したという。私も信州来訪の目的を話したところ耳取城の事も詳しく話してくれた。
帰途、道の駅に立ち寄り五郎兵衛米の新米を購入。又、眼前の五郎兵衛新田は取り入れの最盛期で、人々が忙しく黄金色した稲田の中で作業していた。
誠に美しい日本の原風景そのものであった。
風の余話
写真展中できなかったの仕事の処理も一段落したので、先週末、久しぶりに妻と「ハスラー」で遠出。写真展中妻の誕生祝できなかったのでその穴埋めもある。(女房孝行??)
長野県小諸市郊外の玄江院(お寺)と耳取城跡を訪ねた。
玄江院は戦国武将、耳取城主大井氏の館の内に建立されたと言われており、我家の菩提寺である玄頂寺とゆかりの寺である。大井正成の居城であった耳取城跡が直ぐ北方にある。大井正成は武田滅亡後家康のについて関東に入り高崎に来た。没後玄頂時に埋葬。墓所がある。(息子正吉が弔った)我家の遠い祖先も大井正成に供して高崎に来たという話があるので今回の旅となった。
玄江院は住職法事で不在。住職のお母様(亡前住職の奥様)が本堂を案内して下さった。突然の訪問なのにありがたい。改築されたばかりの本堂は立派なものであったが、随所に以前の寺の材木を(梁等)を使用されており、新しい中にも趣があった。
訪問のきっかけとなった話しをしたが、何分古くもあり、真偽は確かめようも無い(はじめての訪問で過去帖の話もできない)等が、本堂に御参りできたことだけで満足。
次に、耳取城跡の石碑前で記念撮影。雑木林の中に民家もあったが、広大な河岸段丘(千曲川)を自然の要害としたような位置であった。
ロマンを感じた旅であった。子供達にも話して聞かせたい。
次に向かったのは市川五郎兵衛記念館である。
風の余話
写真展期間中にたまってしまった仕事の処理に忙殺される週明けの日々である。
今朝の朝刊で御嶽山の火山噴火は戦後最悪の被害者が出てしまった。
山好きの同級生の一人は毎年のように登っていた山である。このような事態になるとは考えても見なかった。何時か自分も登ってみたいと考えていた山の一つであった。
自然の脅威は想像を絶するものがある。亡くなられた方々の御冥福を祈る朝であった。 合掌。