妻のトレー
先日映画のチケットを頂戴し、妻と一緒に鑑賞予定だったものの、ふたりのスケジュールが合わずに、それぞれ別々に観に行った。
私が先に観に行き、後日妻が仕事帰りにひとりで鑑賞することになった。
妻の帰宅後、映画の感想に続いて映画館の話になった。
「トレーが座席のコップホルダーに収まらなくて・・・」と妻。
「トレー?何を買ったの?」と私。
「ビール」
おぉぉ〜夜の映画館でおばさん一人が飲むビール・・・
やっぱりあなたは素晴らしく格好いい
で?トレーに置いたつまみは何だったの?
【明日4/1(水)は定休日となります】
さらば21時の静寂
NHKの「ニュースウオッチ9」(月〜金曜、午後9時)で大越健介キャスター(53)が、27日放送の同番組の終了間際、降板のあいさつを行った。
井上あさひキャスター、広瀬智美キャスターとともに、3人にとってこの日が最後の出演。大越キャスターは「3人とも進む道は違いますが、別の機会に画面を通してお目にかかれたらと思います。しばしの間、お別れです。さようなら。また、いずれお会いしたいと思います」と頭を下げた。 井上キャスターは、京都放送局に異動となることと、視聴者にこれまでの感謝の気持ちを伝え、スポーツの現場を取材してきた広瀬キャスターは、さらに取材を深めたいと語った・・・とのこと。
以前にも書いたようにでしゃばらず冷静にそして淡々と伝える低音の口調が非常に心地良く、自宅にいる時は大抵視聴していた。スポーツ担当の広瀬キャスターの明るいキャラクターを含め、好きな番組のひとつだったな〜これでまたひとつ21時以降のガチャガチャしていない番組が減ると、さらに私の就寝時間が早くなりそうだ
指折りあと14本
おかげさまで40周年
本日で当社は創業40周年を迎えることが出来ました。
これも皆様方おひとりおひとりのご支援・ご協力のおかげです。心から感謝申し上げます。またたくさんのお花や祝電・お祝いのメール・お手紙も心に染みました。併せて感謝致します。
思い起こせば今から約30年前の1984年、大学受験に失敗し、浪人する気は全く無かった私は、そのまま当社に入社することになりました。そう決めた経緯は何故かよく覚えておらず、三月の終わりぐらいに突如決意したので私自身、背広すら用意しておらず、記念すべき初出勤は高校のブレザーだったほどでした。また入社と並行して夜間の大学にも通い始めました。その当時の事務所は先代の実家の敷地の片隅に建てたプレハブ小屋のような六畳ほどの小さな事務所で、机がひとつ、応接セットがひとつにコピー機やファックスがぎゅうぎゅうに詰め込まれていて、お客さんで事務所が一杯になると、帰宅を命じられたことも何度もあったほどでした。
【画像は旧事務所跡地。駐車場のあたり】
継ぐとは思っていなかった先代から与えられる仕事も殆ど無かった為、6月から「口減らし」で宅地建物取引業主任者試験の専門学校へ通い始めました。夜間大学は9月に「早期卒業」し、10月には専門学校が終わったものの、数ヶ月間は専門学校・大学・事務所の掛け持ち生活が続いていました。そして翌年1985年1月からは損保代理店研修生として小岩の支社へ朝と晩に出勤し、日中は事務所の生活が続きました。同年2月に現在の場所に事務所を移転し、入社して一年が経過する頃にようやく待望の「自分の机」が与えられました。今思い返すとなかなかハードでタイトな生活をしていたものだな〜と思いますが、「あの当時」だからこそ出来たことだと思います。もしその当時からネットや携帯が普及していれば、また違った時間の遣い方も出来たかとは思いますが、その時は手持無沙汰を解消するようにひたすら不動産関係の本を読み漁っていたような気がします。結果的にそれらのひとつひとつが後々私の基盤となっているような気がします。
入社当時はちょうどバブル全盛期であったものの、その当時から「売買」ではなく、私は「賃貸」に興味がありました。入社した当時は礼金3ヶ月の時代で、ハウスクリーニングや鍵交換、入居者用の火災保険・賃貸保証契約も無く、即日入居も可能な時代で今では考えられない程、のんびりとしていたものでした。しかし年々法改正が進むと同時に「個人情報」「東京ルール」等の各種書類が増え、恐らく今後も果てしなく増え続けると思われます。書面の作成で不明確で不明瞭な部分は確かに少なくなりましたが、それと同時にあれこれとクレーム・苦情・文句や権利の主張をする人たちも増加した気もします。
今でもふと思い出す光景があります。日曜日にひとり留守番をしていた時、小さな事務所の前で私と同年代と思われる大学生(風)の男性が、車にサーフボードを積んで彼女と出掛けようとしていました。仕事も無くただ机に座っている私から見えたそのサーファーの何とも眩しく羨ましかったこと・・・ただ同時に大学に行かなかったこの四年間を無駄にしないようにしようと決意した出来事でもありました。
「いい部屋を紹介して頂いて有難う」「いい人を紹介してくれて有難う」から「トラブルが無事解決しました」「おかげさまで設備が直りました」「快適に暮らす事が出来ました」・・・までこの仕事はたくさんの有難うの言葉で溢れています。そのたくさんの有難うの言葉でここまで楽しく充実した毎日を過ごせた気がします。これからもたくさんの有難うに支えられながら、精進して参りたいと思います。
今後共引き続き変わらぬご愛顧を何卒宜しくお願い致します。
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