岡山へ行って来た・後編
岡山最後の朝を迎えた。倉敷美観地区で9時30分からのガイドに間に合うように岡山駅から山陽本線で倉敷駅を目指す。わずか16分で到着するが、同時に小雨が降り始めた。10分ほど歩くと倉敷美観地区に到着。観光案内所でガイド(無料)を申込み、おば様と私の二人の参加者と女性ガイドさんと一緒に見学開始。
まるで映画のセットのような街並みを歩きながら、「倉敷を語るには大原さんの存在は欠かせない」とクラボウ(倉敷紡績株式会社)の創業一族の大原家の功績、人柄等を中心にガイドが始まる。これだけの財力とキップの良さ、そして大原美術館と児島虎次郎との関係等・・・とても興味深い内容だったのだが・・・
一緒に参加したおば様が実に疎ましかった・・・最初に会った瞬間から嫌な予感はしていた苦手なタイプのおば様で、ストレートな物言い、ガイドさんの説明を遮る質問、説明を聞いていない・・・と言うまあまあいるっちゃいる典型的な嫌われおば様で、最初こそ大人の対応を心掛けていたが、次第に景色が目に入らなくなり、耳から苛立ち始め、「美観地区だから、建築・改築が制限されていると先程ガイドさんが説明してくれましたよ」と物凄い汚い言葉で吐き捨てたくなる気持ちを必死に抑える。
ガイドさんの説明はとても興味深く面白かったのだが、90分の終了と共におば様から解放される喜びが上回り、逃げるようにその場を離れた。
もうこの頃になるとすっかり疲労困憊で、時間的には新倉敷の玉島へも行けたのだが、そのまま岡山まで戻り、ホテルに預けた荷物を受け取り、遅めのランチ(ビール付き)をして、空港へと向かった。リムジンバスでも帰りの便でも熟睡してしまい、空港に迎えに来てくれた息子の車が実に有難かった・・・
まだまだ見ていない場所がたくさんある岡山は再訪の可能性があるな〜
ちなみに岡山空港でお土産を購入しようとしたが、キオスクサイズの売店しかないので、お土産は市内で購入されることをおススメします。(明日はおまけ編2)
岡山へ行って来た・中編
乗客が私ひとりの貸切バスで山道を下って行くと、雨が次第に激しくなってきた。途中で下校する生徒さんが乗り込んで来たが、またすぐに貸切になった。気が付けばすっかり雨も上がり太陽が差し込んでいた。終点の高梁駅まで戻らず途中下車して、美観地区から事前に入手しておいた映画「バッテリー」のロケ地マップ片手に散策開始。城下町は歩くだけで何だか清々しい。すぐに主人公の自宅と思われる建物を発見。
ただ一回しか観ていないのでとりあえず撮影して、ちょうど下校途中だった高校生に確認した。
その後ロケで使用された武家屋敷を通る。
「こんなシーンあったかな?」と再び高校生を捕まえて確認するが、彼らもよく分からなかったようで、東京に戻ってから再確認した。
【このシーンだったのね】
それにしてもこんな素敵な街並みを通って通学するなんて羨ましい限りである。そのまま美観地区まで戻り、栄町商店街を通過して、備中高梁駅に到着。約2.2kmの散策後、駅前の喫茶店で一服して、18時05分発の特急やくもに乗り、岡山へと戻った。よく歩いた一日だったが、傘要らずで大満足の一日であった。ただ次第に足が痛み始めたぜ・・・
ホテルに戻り、汗を流し、ひと休みしてから美味しいと評判のお店で岡山ラストディナー。
現地野菜の「黄ニラ」「ふくとま」を始め、「塩コンブ」を乗せた黒毛和牛等がとても美味しく、ビールが進み過ぎてしまい、ほろ酔いのまま、ベッドに倒れ込む。気が付けば明日でもう岡山も最終日である。 (つづく)
【明日6/29(水)は定休日となります。明日予約投稿にて「岡山へ行って来た〜おまけ編1」を掲示予定】
岡山へ行って来た・前編
18時の終業後、新小岩駅から羽田空港へと向かう。やはりこの時間が一番楽しい。浜松町でモノレールに乗り換え、まだ陽が高い街並みを高揚感と共に眺める。1時間足らずで空港に到着し、573kmを1時間余りで初の岡山に運んでくれる。リムジンバスで30分ほど走ると岡山駅に到着、22時近くにようやくホテルにチェックイン。翌朝7時に起床し、日本三名園のひとつ岡山後楽園まで散歩。手入れの行き届いた広大な庭園にただただ感動。そして庭園に感動する自分にもまた感動。時間の関係で岡山城はチラ見して、今回のメインイベントである吹屋ふるさと村を目指す。
出雲行きの特急やくもに乗り込み、岡山駅から30分で備中高梁駅到着。この「高梁(たかはし)」という地名が、妻の旧姓の一文字と私の苗字との組み合わせにも何かご縁を感じつつ、バスに乗り込む。ちなみに備中はびちゅうではなく「びっちゅう」と読む。
駅前でバスに乗り込む。出発時に数名乗っていた乗客も30分も経つと貸切になり、アクロバットなドライブテクニックを見せつけるように細い山道をグングン登って行き、約1時間で標高550mの山間に忽然と現れる吹屋ふるさと村に到着。終点のバス停で事前に申し込んでおいたガイドさんと笑顔でご対面。
吹屋ふるさと村とは・・・赤銅色の石州瓦とベンガラ色の外観で統一された、見事な町並みが整然と続く吹屋の町並み、この町並みこそ、江戸末期から明治にかけ、吹屋の長者達が後世に残した最大の文化遺産。豪商が財にあかせて建てた豪邸は、全国各地に見ることができます。しかし、吹屋の特異な点は、個々の屋敷が豪華さを纏うのではなく、旦那衆が相談の上で石州(今の島根県)から宮大工の棟梁たちを招いて、町全体が統一されたコンセプトの下に建てられたという当時としては驚くべき先進的な思想・・・(高梁市観光ガイドホームページより)
ガイドに参加したのは私ひとりだったこともあり、山上社、「近世ベンガラ商家の典型」旧片山邸(本片山)、郷土館(片片山)と順番にとても親切にゆっくりと分かり易く説明して頂き、気が付けば30分以上もオーバーしていた。長崎の軍艦島といい、愛媛の別子銅山といい、栄枯盛衰の歴史はいつも儚くも美しいものである。そして映画「八つ墓村」の広兼邸は徒歩で1時間ほど離れていると知り、愕然としているとガイドさんが営業日外にも関わらずわざわざレンタサイクルを手配して頂いた。Tさん、本当に色々と有難うございました。
電動自転車にまたがり、銅山とベンガラの原料であるローハ製造で巨大な富を得て築かれた広兼邸を目指すもののアップダウンが激しい山道で、自転車のバッテリーが悲鳴を上げる。20分ほどで広兼邸に到着。個人邸とは思えないお城のよう石垣に圧倒されつつ、山本陽子は出迎えてくれなかったがショーケン気分で入館。
ただバスは平日わずか行き帰り共2本しか出ておらず、私は15時45分の最終バスに間に合うように、途中にあるベンガラ館を捨て、笹畝坑道だけを見学し、再びふるさと村へと山道を登る。平成24年に並行する前は現役最古の木造校舎だった旧吹屋小学校は平成32年3月まで改修工事の為、シートが被っていて見学は出来なかったが、それは4年後のお楽しみにしよう。
自転車を返し、貸切の喫茶店で吹屋出身で吹屋小学校卒の女将さんと話しこんでいたら、あっという間にバスの時間となった。
女将さんに見送られる直前に雨が降り出しした。やっぱり晴れ男なんだな〜と思いつつ素敵な吹屋の街並みとお別れした。(つづく)
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